9世紀中頃、当地で詫び住まいをしていた源氏物語の主人公ともいわれる中納言在原行平は、京へ戻ることのできないやるせなさを「わくらばに」の歌に託しました。 親しくなった多井畑の姉妹 松風・村雨と逢瀬に心をいやされていましたが、ある日突然の知らせにより京に帰ることになりました。 「立ち別れ」の歌は2人との別れを惜しむ行平の気持ちがよく表わされた有名な歌です。 藻塩作りの須磨の浦姉妹とともに月を眺めた いなば山(須磨離宮公園東の小さな山) ここ須磨の地には行平にまつわる史跡も多く、千年の昔より月見の景勝の地としても知られています。 在原行平にちなんで、この地域には稲葉町、松風町、村雨町、磯馴町、衣掛町などの地名がつけられています。
「在原行平ゆかりの地」の碑を建設する会 |
旧和田岬灯台日本の様式灯台建設の歴史は、1866年幕府が諸外国との間に、主要な港に灯台を作る条約を結んだ時から始まります。翌1867年、幕府と英国公使が兵庫開港(同年12月)に備えて結んだ大坂約定で建設を約束した5つの灯台のうちのひとつが和田岬灯台です。 和田岬灯台は日本の灯台の父と呼ばれるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導で、明治4年和田岬砲台の横に作られました。当初は木製で8角形の灯台でしたが明治17年現在の鉄骨造の灯台に建て替えられました。 その後、和田岬は埋め立てが進み、昭和38年に廃灯となりましたが、明治時代の洋式灯台の歴史を示す貴重な資料でもあり、現在の須磨海岸に昭和38年に移築・保存され、平成10年には国の登録有形文化財となりました。
神戸市 |