『奥の細道』東 北


〜美豆(みづ)の小島〜

東北自動車道古川ICから国道47号(北羽前街道)に入る。


鳴子温泉に向かう途中、「小黒ヶ崎」とあった。


 何気なく通り過ぎると、「おくのほそ道 美豆の小島」の小さな案内があった。通り過ぎると、また「美豆の小島」の案内があった。

二度も案内があっては、立ち寄らなくては。

国道47号(北羽前街道)から左の細道に入る。
 
『古今和歌集』(巻第20)東歌の歌碑がある。


をぐろ崎みつの小島の人ならば都のつとにいざといはましを

 南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎みづの小嶋を過て、なるこの湯より、尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。

 
 元禄2年(1689年)5月15日(陽暦7月1日)、芭蕉と曽良は尿前の関に向かう途中、歌枕「美豆の小島」に立ち寄った。

「美豆の小島」は『続古今和歌集』にも出てくる歌枕だと書いてあった。

をぐろ崎みつのこじまにあさりする田鶴ぞなくなり波たつらしも
   四条天皇

人ならぬ岩木もさすが恋しきは美豆の小島の秋の夕暮れ
   順徳院

『小倉百人一首』の100番目が順徳院の和歌だった。

ももしきやふるき軒ばのしのぶにもなほあまりある昔なりけり

美豆の小島


江合(えあい)川の河原に小島が浮かぶ。

 ○此間、小黒崎・水ノ小島有。名生貞(名生定)ト云村ヲ黒崎ト所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩島ニ松三本、其外小木生テ有。水ノ小島也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。(曽良随行日記)

 『曽良随行日記』によれば、芭蕉が訪れた頃、「小島」は向こう岸に接していたらしい。

 元禄9年(1696年)、天野桃隣は小黒崎・水の小島を通っている。

 此所より下宮と云村へ出る。さきは鍛冶屋沢、此間ニ小黒崎・水のをじま(小島)アリ。


 現在の松は、明治43年(1910年)の大洪水で流出したため、土地の人々が修復し、歌枕を蘇らせたもの。

鬼首温泉へ。

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