明治33年(1900年)8月19日、石川県鹿島郡矢田郷村(現:七尾市岩屋町)に生まれる。 大正7年(1918年)、友人の紹介で高村光太郎を訪ねる。 大正8年(1919年)、東京外国語学校(現:東京外国語大学)イタリア語科に入学。 大正13年(1924年)、高橋元吉は高田博厚、尾崎喜八らと『大街道』を発行。 昭和6年(1931年)、妻子を残して渡仏。 昭和7年(1932年)、「アラン」の胸像を制作。 昭和12年(1937年)、「カテドラル」の像を制作。 昭和32年(1957年)、帰国。東京新宿区西落合に住む。新制作協会会員。 昭和45年(1970年)、前橋で高橋元吉・高田博厚二人展。 昭和46年(1971年)、宮沢賢治の胸像を制作。 昭和51年(1976年)、盛岡市に依頼されて新渡戸稲造の胸像を制作。 昭和54年(1979年)、棟方志功の胸像を制作。 昭和55年(1980年)、東松山市中央公民館(現:松山市民活動センターで高田博厚彫刻展・講演会を開催。 昭和61年(1986年)、高坂駅西口に高田博厚の彫刻を2体設置。 昭和62年(1987年)、「海 La Mer」制作。 昭和62年(1987年)6月17日、高田博厚は86年の生涯を終える。 昭和62年(1987年)10月、大分市の赤レンガ館前に「ラ・メール (海)」の像設置。 |