昭和46年(1971年)、高田博厚は谷川徹三に勧められ、 賢治の弟の清六からもらった数枚の写真を基に彫刻を制作したそうだ。 |
「私の賢治」で好い。それは素朴実直な東北人、土壌に根を張った辛抱づよい一律に凝まった人間存在。私が打たれたのはその「単純」な徳性であり、もしそれに「詩人」とか「思想家」などという調味料を加えようとしたら、私自身が混迷してしまうだろう。…………同じ東北人でありながら啄木と賢治は対蹠的な存在である。
――作者―― |
昭和38年(1963年)、制作。 平成6年(1994年)、設置。 |
創作行動とは孤独な行為である。ことに彫刻藝術は、「心ある者」のみをその前に立ち止まらせ、そして無限に語りかけてくれるものであろう。彫刻自体が独りあるものなのだ。
――作者―― |