昭和51年(1976年)、高田博厚は盛岡市に依頼されて胸像を制作。新渡戸稲造の国連での苦悩を知り、それを表現したと言われているそうだ。 |
ビクトリアロードは「新渡戸稲造胸像」から中津川沿いに盛岡市役所を経由して「新渡戸稲造誕生の地」に至る延長約830メートルの道です。 盛岡市に生まれた新渡戸稲造は、カナダ・ビクトリア市で亡くなりました。この縁で、盛岡市とビクトリア市は昭和60年5月に姉妹都市の提携を結びました。 ビクトリアロードは、平成7年の姉妹都市提携10周年を記念して名づけられました。 |
たそかれて 行く人おもふは よしなしと 中津川べり ひとりもどりつ |
中津川月に河鹿の 啼く夜なり 涼風追ひぬ夢見る人と |