2021年岩 手

中津川沿い〜新渡戸稲造胸像〜
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盛岡市内丸に盛岡市役所がある。

盛岡市役所の与の字橋近くに新渡戸稲造胸像があった。


 昭和51年(1976年)、高田博厚は盛岡市に依頼されて胸像を制作。新渡戸稲造の国連での苦悩を知り、それを表現したと言われているそうだ。

昭和62年(1987年)6月17日、高田博厚86年の生涯を終える。

ビクトリアロードへようこそ

 ビクトリアロードは「新渡戸稲造胸像」から中津川沿いに盛岡市役所を経由して「新渡戸稲造誕生の地」に至る延長約830メートルの道です。

盛岡市に生まれた新渡戸稲造は、カナダ・ビクトリア市で亡くなりました。この縁で、盛岡市とビクトリア市は昭和60年5月に姉妹都市の提携を結びました。

ビクトリアロードは、平成7年の姉妹都市提携10周年を記念して名づけられました。

ビクトリアロードではなく、中津川河畔の詩歌の散歩道を歩く。

小田島孤舟の歌碑があった。


 たそかれて
行く人おもふは
よしなしと
 中津川べり
  ひとりもどりつ

石川啄木の歌碑


碑面を拡大。


中津川月に河鹿の
啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と

「明星」(明治38年7月号)に石川啄木・せつ子の名で発表されているそうだ。

対岸に盛岡銀行中ノ橋支店が見える。


中の橋を過ぎる。

紅 葉


盛岡城跡公園(岩手公園)へ。

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