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明治26年(1893年)3月6日、高橋元吉は書群馬県前橋市曲輪町に生まれる。 大正5年(1916年)10月、尾崎喜八、倉田百三らと共に同人誌『生命の川』に参加。 大正13年(1924年)、高橋元吉は高田博厚、尾崎喜八らと『大街道』を発行。 昭和17年(1942年)5月、兄清七死去。煥乎堂社長となる。 昭和38年(1963年)、高橋元吉は第6回高村光太郎賞受賞。 昭和40年(1965年)1月28日、高橋元吉は72歳で死去。 昭和45年(1970年)、前橋で高橋元吉・高田博厚二人展。 |

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高橋元吉は私の一生の友だった。 生き方も歩き方も二人はずいぶんちがっていた。しかし、自我の内部が命令するもの、精神の秩序、この点で二人は全く一つであった。
――作者―― |
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| 高田博厚は、尾崎喜八から高橋元吉のことを聞き、元吉の詩に興味を持つ。講演に行った前橋で元吉と会い、以後、親密な交友を続けたそうだ。 |

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私がいる家のすぐ後ろの丘の上のサン・ミシェル寺の鐘がなる。夕べの祈の鐘である。ここの山峡の高みにあるアヌンシアータ修道院の神父が私に言ったことがある。「私は40年この山から一歩も下に降りないで、毎日海の潮を見ていました……」
――作者―― |
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トルソがそれだけで完全作品になるためには、よほどの力量、というより作者の内面的充実がいる。単純に見えるから、そこに無量のものを満たすのがむずかしいのである。古代作品にはこれがあった。
――作者―― |
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「ベルヴェデレ」の首も腕もない一つのトルソは、「ラオコーン」の身振りが説明するよりももっと真に自由に「人間」を示している。ミケランジェロはそれを知り、彼の作品でそれを私達に教えてくれた。
――作者―― |
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マイヨルは「形」を再発見した。彼はそして「自然」の中から「思想」をくみとる。それの純化したのが「形」なのである。
――作者―― |
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直立像が両腕を持つ場合、その位置の決め方がいかにむずかしいか。マイヨルはそれに苦心した。彼は直立姿態に彫刻本質を感じ、一生をかけた。
――作者―― |

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