2024年埼 玉
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高橋元吉の胸像〜高田博厚彫刻群〜

 明治26年(1893年)3月6日、高橋元吉は書群馬県前橋市曲輪町に生まれる。

 大正5年(1916年)10月、尾崎喜八、倉田百三らと共に同人誌『生命の川』に参加。

 大正13年(1924年)、高橋元吉は高田博厚、尾崎喜八らと『大街道』を発行。

 昭和17年(1942年)5月、兄清七死去。煥乎堂社長となる。

 昭和38年(1963年)、高橋元吉は第6回高村光太郎賞受賞。

 昭和40年(1965年)1月28日、高橋元吉は72歳で死去。

 昭和45年(1970年)、前橋で高橋元吉・高田博厚二人展。

高橋元吉の胸像


昭和45年(1970年)、制作。

高橋元吉は私の一生の友だった。

生き方も歩き方も二人はずいぶんちがっていた。しかし、自我の内部が命令するもの、精神の秩序、この点で二人は全く一つであった。

――作者――

左側面
   
右側面

   


 高田博厚は、尾崎喜八から高橋元吉のことを聞き、元吉の詩に興味を持つ。講演に行った前橋で元吉と会い、以後、親密な交友を続けたそうだ。

知らなかった。

中通公園に「礼拝」の像があった。


昭和57年(1982年)、制作。

私がいる家のすぐ後ろの丘の上のサン・ミシェル寺の鐘がなる。夕べの祈の鐘である。ここの山峡の高みにあるアヌンシアータ修道院の神父が私に言ったことがある。「私は40年この山から一歩も下に降りないで、毎日海の潮を見ていました……」

――作者――

左側から
   
右側から

   


「礼拝」の像は福井県国際交流会館にもある。

女のトルソ


昭和48年(1973年)、制作。

トルソがそれだけで完全作品になるためには、よほどの力量、というより作者の内面的充実がいる。単純に見えるから、そこに無量のものを満たすのがむずかしいのである。古代作品にはこれがあった。

――作者――

左側面
   
右側から

   


男のトルソ(ヘラクレス)


昭和48年(1973年)、制作。

「ベルヴェデレ」の首も腕もない一つのトルソは、「ラオコーン」の身振りが説明するよりももっと真に自由に「人間」を示している。ミケランジェロはそれを知り、彼の作品でそれを私達に教えてくれた。

――作者――

左側面
   
右側面

   


憩 う
Reposer


昭和51年(1976年)、制作。

マイヨルは「形」を再発見した。彼はそして「自然」の中から「思想」をくみとる。それの純化したのが「形」なのである。

――作者――

左前から
   
右前から

   


反対側



Le Ciel


昭和53年(1978年)、制作。

直立像が両腕を持つ場合、その位置の決め方がいかにむずかしいか。マイヨルはそれに苦心した。彼は直立姿態に彫刻本質を感じ、一生をかけた。

――作者――

やや左から


左前面
   
右前面

   


「憩う」、「空」は福井市美術館にもある。

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