大正7年(1918年)、高田博厚は上京してまもなく、友人に連れられ高村光太郎のアトリエを訪れる。 昭和31年(1956年)4月2日、高村光太郎は73歳で亡くなる。 |
日本の彫刻界で彼のように聡明確実な腕を持った者は一人もいなかった。その上彼の世間を相手にしない孤高な魂はそれに気品を与えた。彼は木盆にヴェルレーヌの詩、「われは選ばれたる者の怖れと喜びを持つ」を原語で自ら彫りつけていた。
――作者―― |
ロダンが『フランスのカテドラル』の中で、ランスの寺を「跪いて祈る女」と云っているのは、勿論君は知っている。僕がはじめてランスの寺で受けた感動は、後年ギリシアのシシリアで受けたものと同質である。 春の小雨の降る日、細い道に入って右にまがったら、 不意に眼の前に、雲の流れる濡れた空の下に、膝を祈り、胸を張り、合掌し天を仰いで若い女が祈っていた。ランスのカテドラルが……。
――作者―― |
真の「空間」とは「自然」の中に「自我」が生むものなのだ。高い藝術作品がこれを示している。
――作者―― |
一つの姿態、一つのトルソ。これは多様の外界から 「選ばれた」形である。構造(コムポジシオン)はここではじめて存在理由を持つ。そしてたとえば、私は一生無限に「トルソ」を作り続けるだろう。
――作者―― |