昭和51年(1976年)、制作。 平成6年(1994年)、設置。 |
高田博厚は盛岡市に依頼されて胸像を制作。新渡戸稲造の国連での苦悩を知り、それを表現したと言われているそうだ。 |
私の人物像は「似ていない」とよく言われる。ある一時の面しか見ていない者はそう思う。当然だろう。けれども、本当の肖像彫刻というものは、(私が考えているところでは)「人間」の容貌にそれが経てきた「時間」の層、その厚みが出なかったら意味を失うだろう。
――作者―― |
昭和53年(1978年)、制作。 平成6年(1994年)、設置。 |
画家が一定の額(テイマンシオン)の中に風景や静物や人物を構成するように彫刻家は内部のものが形を構成する知恵を学ぶ。この意味で、私にとって人体も肖像もおなじことである。「形」とは内部から押し出る力の極限限界なのだ。これらを捉えること、すなわち、内部の力を一元的な形体・簡潔率直な形にして要約するのが彫刻であろう。 彫刻とは純粋な形而上(メタフィジック)な術であり、音楽と共通する。
――作者―― |