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「この裸童子が花木槿を持った図は、そのひなびたとりあわせがしっくりしていて、古人が桜をかざしとしたのに対して、花木槿は里童のかざしにまことにふさわしい感じだ」の意。 『新古今集』の「ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざしてけふもくらしつ」(山辺赤人)などを念頭に置いて、「昔の大宮人は桜をかざしたとしたものだったが」の意を裏にこめた発想だと思われる。画賛の句なので、即興的に作ったものであろう。『句選年考』に「按ずる延宝の作なれば、細かなる毛をムクゲといへば、裸身にて吟じけるか」とあるのはあたらない。 出典よりみて、延宝八年ごろの作。『吐綬鶏』にも所収。『東西夜話』は真蹟により「裸子の花もちたる画の賛に」と前書、中五「裸わらはの」と表記。『芭蕉盥』には「裸子の木槿の枝持ちたるに」と前書して所収。真蹟画賛には「花むくげ裸わらハのかざしかな」とあり「芭蕉庵主桃青」と署名するが、やや後の染筆か。『蕉翁句集』は、真蹟によるとして中七「はだかわらべの」とする。 |
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小矢部市指定文化財(史跡) |
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この石碑には俳人松尾芭蕉の句が刻まれている。 |
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この句は延宝8年(1680年)芭蕉が37歳のときに詠んだものといわれている。芭蕉が今石動を訪れたのは元禄2年(1689年)のことであるため、当地で詠まれたものではない。裸の腹当てをした子供が脚を前に投げ出し、座ったまま木槿の花の咲いた小枝を空にかざしている絵が描かれた色紙を芭蕉が見て、この句を詠んだといわれている。 美濃の俳人で、芭蕉十哲の一人である各務支考は、たびたび今石動を訪れ、観音寺に滞在して俳諧の指導にあたっていたが、今石動の俳人従古の家を訪れた際に、この芭蕉直筆の色紙をみて芭蕉をなつかしみ、「裸子よ物着はやらん瓜ひとつ」という句を詠んだことが、支考の著した俳書『東西夜話』に記述されている。 この句碑は酢屋方竪が享保の頃に建立したものと考えられている。当時、今石動で俳諧が盛んであったことを示す、たいへん貴重なものである。もともと城山公園入口の石段下に建立されていたが、現在地へ移された。
小矢部市教育委員会 |


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高岡より石動まで川舟あり、陸道はたつの岡村などいふを過ぎて、石動の宿なり。この所も賑はしき町にて、ここにはかご多くいたってやすいし。 往来をかごに乗せても宿の名のゆする気遣ひなきそたのもし
「越中立山参詣紀行・方言修行金草鞋」 |
