2014年〜富 山〜
観音寺〜各務支考〜

小矢部市観音町に観音寺という寺がある。
前田家ゆかりの地
元々は市内五社にあった宝幢山本覺山観音寺と言う。天正17年(1589年)、地震により今石動(現在地)に移転し、前田利秀の祈願所となる。その際、利秀から、父秀継伝来の天満大自在天神(別称 網敷威徳天神)の図像が寄進され町の安穏発展を祈願した。
5月に天神信仰による祭りが行われ、各町内の獅子舞が奉納され「獅子盆」と言う。発端は、利秀が今石動寺城に入城した際、住人が獅子舞をして歓迎したことによると伝承している。
高野山真言宗の寺である。
観音堂

右手に三重塔ががあった。

元禄14年(1701年)6月、各務支考は今石動を訪れ、3ヶ月間観音寺住職濫吹のもとに滞在した。
濫吹の句
人肌にいけおほせたる火桶かな
種物のあまれは母の所帶かな
各務支考の句碑

蝉の羽も暮れて杉間の月ほそし
『東西夜話』に「宿觀音寺」とある。
本堂の裏に「獅子塚」があった。

小矢部市の文化財である。
正徳5年(1715年)、各務支考は観音寺に姿を隠し自ら死んだとして追善集『阿難話』を出す。
享保2年(1717年)、観音寺に獅子庵を建てる。
享保5年(1720年)まで観音寺に滞在した。
「獅子塚」の右手にも支考の句碑があった。

六月にひやりと見たし青瓢
『東西夜話』には「六尺に」とある。
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