2005年東 京
indexにもどる

波浮の港〜野口雨情〜

波浮港見晴台から波浮港へ。


波浮港


 明治42年(1909年)11月15日、東洋大学の創設者井上円了は波浮港を訪れて「伊豆大島紀行」に「当港は伊豆七島中第一の防風港にして、漁船の入泊四時絶えず。」と書いている。

翌16日、井上円了は波浮港から三原山に登る。

大正15年(1926年)12月、大町桂月が「波浮の港」を訪れているそうだ。

波浮港の堤防に野口雨情の詩碑があった。


野口雨情「波浮の港」

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は
ヤレホンニサ なぎるやら

詩碑の周りに「鵜の鳥」

海鵜(うみう)


佃島で撮った写真である。

 野口雨情の詩で名高い波浮の港は、美しい眺めのなかに昔の港町情緒を今に残し、その静かなたたずまいは訪れる人を魅了している。

 この「波浮の港」の歌は昭和3年中山晋平の作曲で発表されて以来、日本の代表的な心のうたとして多くの人々に歌い継がれている。

 ここに都民文化栄誉賞を受賞されて森繁久彌氏の書による詩碑を建て、伊豆大島の歴史と文化のしるべとする。

 昭和60年4月

 野口雨情の「波浮の港」は現地に行かず、波浮の港の写真を見ただけで平潟港をモデルにして作詞したということだ。

夜お歌を伴ひ銀座を歩む、三丁目の角に蓄音機を賣る店あり、散歩の人群をなして蓄音機の奏する流行唄を聞く、沓掛時次郎とやらいふ流行唄の由なり、この頃都下到處のカツフヱーを始め山の手邊の色町いづことも云はずこの唄大に流行す。其他はぶの港君戀し東京行進曲などといふ俗謡此の春頃より流行して今に至るも猶すたらず、歌詞の拙劣なるは言ふに及ばず、廣い東京戀故せまいといふが如きものゝみなり、


昭和37年(1962年)1月、水原秋桜子は伊豆大島に遊ぶ。

   波浮港外

磯釣と舞鯛(ぶだい)相摶つ枯薊

『晩華』

音管を右側から順番にたたくと、「波浮の港」のメロディーが流れる。


たたく人がいるものである。

少し音程がおかしかった。

詩碑の前で連れの人を待ちくたびれたように座っている人がいた。


旧港屋旅館へ。

2005年東 京