2005年東 京

元町港〜与謝野鉄幹の歌碑〜
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大島公園から波浮の港に向かう。


途中に筆島があった。


筆島は海中に浮かぶ高さ30メートルの岩。

島ではない。

波浮港見晴台に行く。

波浮港見晴台から波浮港を見下ろす。


波浮港はもとは火口湖であった。

 元禄16年(1703年)の大津波で外海と通じたため、港として完成させたものだそうだ。

 昭和8年(1933年)4月2日夜、与謝野鉄幹は妻晶子、末娘藤子、友人井上苔渓の4人で大島に向かい、船中泊。3日、波浮村の「松友館」泊、5日。元村の「三原館」泊。

海もまた安らふごとくさし入りぬ島の南の波浮の小港

山めぐる波浮の入江の青めるに影しぬ船と片側の町

波浮の浦やや大きなる船一つ来て片側の町半ば消ゆ

山かげの波浮の入江の浪ぎはに煙を揚げて底を焼く船


波浮港見晴台に与謝野鉄幹の歌碑があった。



山めぐり波浮の入江の青めるに影しぬ船と片側の町

与謝野鉄幹

昭和8年4月3日来港「松友館」

波浮の港を愛する会

鉄幹が亡くなる2年前のことだ。

 波浮には「波浮の港を愛する会」が建てた「大島に蚊と牛糞なかりせば不寒不熱の極楽の里」という井上円了の歌碑のもあるそうだが、分からなかった。

井上円了は東洋大学の創設者である。

 明治42年11月12日、井上円了は伊豆大島を訪れて「伊豆大島紀行」に「気候は夏暑からず冬寒からず、大いに健康に適す。」と書いている。

 ただし、「伊豆大島紀行」では「蚊と牛糞」ではなく、「風と牛糞」になっている。いずれにせよ「牛糞の臭気の鼻をつくは、外来の人をして不快を感ぜしむ。」と書いているから「牛糞」には閉口したようだ。

歌碑の前でしきりに携帯電話で話している人がいた。


待ち合わせた人が来ないらしい。

波浮の港へ。

2005年東 京