2004年下 町

最勝寺〜目黄不動〜
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JR総武線平井駅から荒川に出る。


 荒川沿いの道を行き、小松川高校の手前の路地を入ると、4つの寺が並んでいる。


大正から昭和の初めに移転してきた寺である。

一番手前にあるのが最勝寺、一番奥が善通寺である。

明王院と号す。同所表町にあり。天台宗にして東叡山に属す。本尊不動明王の像は良弁僧都の作なり。当寺は牛御前の別当寺にして、貞観二年庚辰慈覚大師草創。良本阿闍梨開山たり。寛永年間大樹この辺遊猟の頃、屡(しばしば)当寺へ入御(じゆぎよ)あらせられしにより、その頃は仮の御殿など営構なし置かれたりとなり。(今も御殿跡と称する地に山王権現を勧請す。)

『江戸名所図会』(牛宝山最勝寺)

 最勝寺の不動明王は江戸五色不動のひとつ「目黄(めき)不動」の名で知られている。

関東三十六不動霊場第19番札所である。

正面に本堂がある。

本尊は釈迦如来で、慈覚大師作と伝えられる。

本堂の手前、右側に不動堂がある。


最勝寺(目黄不動)

 天台宗で牛宝山(ごほうざん)明王院(みょうおういん)と号し、大正2年(1913年)に本所表町(現・墨田区)から現在地に移転しました。開山は貞観2年(860年)で、慈覚大師の建立です。

 小林一茶の『七番日記』文化7年3月14日に、「十四 折々雨 昨十四日夜四つ過、ばんば町最上寺に盗入けるが、人々打かさなりて、ぐるぐるまきにして、外へ出して雨に打たせて、迯(にが)しぬとなん。」とあるが、この「最上寺」が最勝寺のことかもしれない。

 慈覚大師は円仁(えんにん)の諡号(しごう)。円仁(794−864)は平安初期の天台宗の僧。下野の人。838〜847年、唐で密教を学ぶ。854年第三代天台座主となり、天台密教を充実させ、日本天台宗の教義を大成させた。

木造不動明王座像


木造不動明王座像

 像高は127センチです。本所表町にあった最勝寺の末寺、東栄寺の本尊でした。

 江戸五色不動目青目赤・目黄・目白目黒)のひとつ「目黄不動」の名で知られています。名僧良弁の作といわれ、将軍家の信仰が厚かったといわれています。

目黄不動は、なぜか台東区の永久寺にもある。

最勝寺に俳人富田木歩(もっぽ)の墓があった。

富田木歩の句碑が三囲神社にある。

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