この不動尊は、もとは赤目不動尊と言われていた。元和年間(1615〜24)万行和尚が、伊賀国の赤目山で、黄金造りの小さな不動明王像を授けられ、諸国をめぐり、いまの動坂の地に庵を結んだ。 寛永年間(1624〜44)、鷹狩りの途中、動坂の赤目不動尊に立ち寄った三代将軍家光から、現在の土地を賜わり、目赤不動尊とせよとの命を受け、この地に移った。それから目赤不動尊として、いっそう庶民の信仰を集めたと伝えられている。 不動明王は、本来インドの神で、大日如来の命を受けて悪をこらしめる使者である。剣を持ち、怒りに燃えた形相ながら、お不動さんの名で庶民に親しまれてきた。江戸時代から、目赤、目白、目黄、目青、目黒不動尊は五色不動として、その名が知られている。 目白不動尊は戦災で豊島区に移るまで区内の関口2丁目にあった。 |
駒込浅香町にあり。伊州赤目山の住職万行和尚回国の時、供奉せし不動の尊像屡(しばしば)霊験あるに仍つて、その霊験を恐れ、別に今の像を彫刻してかの像を腹籠とす。則ち目赤不動と号し、この所に一宇を建立せり。(始め千駄木に草堂をむすびて安置ありしを、寛永の頃大樹御放鷹の砌、今の所に地を賜ふ。千駄木に動坂の号(な)あるは、不動坂の略語にて、草堂のありし旧地なり。)後年(のち)終に目黒・目白に対して目赤と改むるとぞ。
『江戸名所図会』(目赤不動堂) |