五月十八日。長崎の警察本部長、夏目義明東道。雲仙越。ゴルフ場休憩。小濱通過。
長崎、桃太郎泊り。丸山、花月にて句會。立子出席。遅れて出席。一昨年、去來二百五十年祭の時、病氣不參の詫び。市長より記念品。丸山といふは昔遊里の地。去來の句碑あり。
|
いなつまやとのけいせいとかりまくら
(いなづまやどの傾城とかり枕)
五月十九日。支那寺、天主堂等。警察本部にて、立子署員に小俳話。有田に向ふ。夏目義明東道。日見峠にある去來の芒塚。
|
君が手も交るなるべし花芒
| 去来
|
井上米一郎の門前を過ぎる。
|
浦戸彎を離れて山間の道に入る。人通りも稀、百姓家が點在するばかり。心ゆく景色。
|
こゝでも一昨年の不參の詫び。俳句會。立子出席。
深川別邸泊。
|
夏山を見よと土廂淺くあり
| 立子
|
|
垣ざかひまで來し朝日苺つむ
| 同
|
五月二十日。柿右衛門を訪ふ。
汽車にて小倉に向ふ。丸橋静子居。玉藻句會。婦人達のみ。盛會。
|
門司より人中津より人暮遅き
|
|
美しき故不仕合せよき袷
| 虚子
|
この前來た時は壯健であつた父君、胃癌とのこと。自分にて承知。痛まし。病床を見舞ふ。辭する時玄關まで送りに出る。田川旅館泊。
|
五月二十一日。汽車にて博多へ。
都府樓の句碑を見る。
|
夜都府楼址に佇む
|
|
天の川の下に天智天皇と臣虚子と
|
これも一昨年私の行くのを待つて除幕する筈であつたもの。觀世音寺も近く、花鳥山佛心寺も直ぐそこにある。
|
靜雲和尚の花鳥山佛心寺に行く。そこに建ちたる虚子堂といふのを見る。
|
虚子堂と名づけしことよ萩芒
| 立子
|
帶塚も一見。この裏山は昔太宰府の時を打つ太鼓のあつたところであつて、それをなまつて今は月山といつてゐるさうである。
|
帶塚は月山裾に明易き
| 虚子
|
以上句碑、虚子堂、帶塚を見る事も一昨年來の宿題なりし。
|
五月二十二日。天滿宮裏の光明寺で、玉藻俳句大會。立子出席。遅れて出席、小俳話。原鶴温泉に向ふ。途中甘木市の丸山公園に立寄る。
|
風薫るあまぎいちひと集ひ来て
螢とぶ筑後河畔に佳人あり
| 虚子
|
|
おくれゆくこの子の籠に螢一つ
| 立子
|
|
寢巻の子寢巻でなき子螢追ふ
| 同
|
蛍飛ぶ筑後河畔のよき宿に
これにて一切の詫びを濟ませ、一所一泊の慌しい旅を終つた。板付から伊丹まで空路。
|
高浜虚子の旅に戻る