元和3年(1617年)、小笠原忠真は信州松本城主より明石藩主となる。 |
|||||||
元和5年(1619年)、小笠原忠真は明石城を築く。 |
|||||||
寛永9年(1632年)、小笠原忠真は豊前小倉に移封。 |
「肱を曲げて」は、『論語』(述而)の「子曰く、疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。」に拠る。 |
一、弘仁3年(812年)僧空海がここに楊柳寺を建てた。 一、仁和のころ(880年のころ)住職覚証が柿本人麿公の夢のおつげで人麿公を祀った。 一、明石築城後は城の守り神として祀られてきた。
兵庫県 |
貞亨5年(1688年)4月25日、芭蕉の猿雖(惣七)宛書簡の「古塚十三」の中に「人丸塚」がある。 |
嘉永4年(1851年)3月17日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、明石を経て大蔵谷に泊まる。 |
明石城中を經て大藏谷に宿す。驛傍中に人丸社あり、往いて觀る。碑あり、末に署して曰く、「明石城主松平日向守源信之立つ」と。 |
明石城吟行会。中崎、衝涛館にて披講。 豊かなる水の流や墨とんぼ 川水に映り羽ばたく墨蜻蛉 鶺鴒と石蕗と映れり城の壕 明石城裏壕の溝蕎麦あはれ |
明石城址 二句 汗垂れて鳶を聞くなり松隱れ 直はしる蜥蜴追ふ吾が二三足
『風切』 |