2013年兵 庫

明石城〜人丸塚〜
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JR神戸線明石駅北口の前に明石公園がある。


元和3年(1617年)、小笠原忠真は信州松本城主より明石藩主となる。

元和5年(1619年)、小笠原忠真は明石城を築く。

寛永9年(1632年)、小笠原忠真は豊前小倉に移封。

日時計


坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)


国の重要文化財である。

明石城では天守閣が造られなかった。

坤 櫓


坤櫓の下に亀毛の句碑があった。


肱を曲げてとはしぐれ聞く夜なるべし

亀毛は儒者・漢詩人梁田蛻巖(ぜいがん)の俳号。

『片玉集』に収録されている。

 「肱を曲げて」は、『論語』(述而)の「子曰く、疏食(そし)を飯(くら)ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。」に拠る。

宝暦7年(1757年)、86歳で没。

昭和38年(1963年)、蛻巖の二百回忌に建立。

遺跡 人丸塚

 一、弘仁3年(812年)僧空海がここに楊柳寺を建てた。

 一、仁和のころ(880年のころ)住職覚証が柿本人麿公の夢のおつげで人麿公を祀った。

 一、明石築城後は城の守り神として祀られてきた。

兵庫県

元和8年(1622年)4月5日、人丸社が建てられ、遷宮。

 貞亨5年(1688年)4月25日、芭蕉の猿雖(惣七)宛書簡の「古塚十三」の中に「人丸塚」がある。

明石城の夜景


 嘉永4年(1851年)3月17日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、明石を経て大蔵谷に泊まる。

明石城中を經て大藏谷に宿す。驛傍中に人丸社あり、往いて觀る。碑あり、末に署して曰く、「明石城主松平日向守源信之立つ」と。


昭和10年(1935年)10月15日、高浜虚子は明石城で吟行会。

明石城吟行会。中崎、衝涛館にて披講。

 豊かなる水の流や墨とんぼ

 川水に映り羽ばたく墨蜻蛉

 鶺鴒と石蕗と映れり城の壕

 明石城裏壕の溝蕎麦あはれ


石田波郷は明石城址を訪れている。

   明石城址   二句

汗垂れて鳶を聞くなり松隱れ

直はしる蜥蜴追ふ吾が二三足

『風切』

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城に選定された。

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