世にふるも更に宗祇のやどりかな
「今手ずからはったこの渋笠をたのみとして、漂泊の生涯を送ろうとしているが、昔あの宗祇がこの人生を観じて『時雨のやどり』であると詠んだことが今更のように思いあわされる。ひとえにその宗祇の心を心として侘びに住しようとするものである」との意。
渋笠をはって興ずるうちに、宗祇敬仰の念が湧きあふれて発した句である。宗祇の句を知らないと句意がつかめないが、宗祇の句を自明のこととして発想し、わずかに「時雨」を「宗祇」とかえただけの即興的な表現をとっているのである。「渋笠ノ銘」には、「西行法師の富士見笠か、東坡居士の雪見笠か。宮城野の露に供つれねば、呉天の雪に杖をやひかむ。霰にさそひ時雨にかたむけ、そぞろにめでて殊に興ず。興のうちにして俄かに感ずる事あり。ふたたび宗祇の時雨ならでも、かりのやどりに袂をうるほして、みづからの笠のうらに書きつけ侍る」として句が出ている。なお「ふたたび……うるほして」に該当する部分は、別稿には「ふたたび宗祇の時雨にぬれて」(雪満呂気)・「ふたたび宗祇の時雨に袂をうるほし」(真蹟巻子・思亭)とある。後、杉風の手により、この句の真蹟短冊をあるじとして深川の長慶寺に発句塚が築かれた(『芭蕉庵小文庫』・『笈日記』・『雪の葉』)。
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時雨塚の右に「宝晋斎其角墓」。

世田谷区北烏山の称往院にも其角の墓がある。
伊勢原市の上行寺に其角の本当の墓がある。
時雨塚の左に「玄峰嵐雪居士」。

豊島区南池袋の本教寺に嵐雪の墓がある。
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