十二日は阿叟の忌日つとむるとて、桃隣をいざなひて、深川長渓(慶)寺にまうで侍る。是は阿叟の生前にたのみ申されし寺也。堂の南の方に新に一箕の塚をきづきて、此塚を発句塚といへる事は
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世の中は更に宗祇のやどり哉
| 翁
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此短冊を此塚に埋めけるゆへ(ゑ)なり。此ほつ句はばせを(う)庵の一生の無ゐなるべしと、杉風のぬし、語り申されし。
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手つから雨の侘笠をはりて
世にふるもさらに宗祇のしくれ哉
此句五文字を世の中と笈日記にはしるさける筆の誤なるべし虚栗の比也
此句笈日記ニ、世の中と有。白船ニ時雨哉と有。いづれも違也。
この塚が芭蕉時雨塚。
碑の表面には「芭蕉翁桃青居士」、裏面に「元禄七甲戌年十月十二日」と刻まれていたらしい。
深川森下町蟠竜山長慶寺中 椎の木の中の茂リの内ニ在入口に枝折戸 傍に制札あり其文に曰
条々
一花もみち折とるへからさる事
一木履はくへんらさる事
一折戸外へ開くへからさる事
月日
時雨墳
芭蕉の句「世にふるも更に宗祇のやどり哉」は天和2年(1682年)、芭蕉39歳の句。
宗祇の「世にふるも更に時雨のやどり哉」の本歌取りだそうだ。
箱根の早雲寺に宗祇の句碑がある。
小林一茶は何度か長慶寺の翁塚を訪れている。
大正12年の関東大震災で罹災。
「芭蕉翁句塚」と「宝晋斎其角墓」は再建された。
戦災で再び失われ、現在では台座の一部が残っているだけ。
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芭蕉翁句塚
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宝晋斎其角墓
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『東都古墳志』によれば、芭蕉翁句塚、宝晋斎其角墓の他に「玄峰嵐雪居士」、「麦林舎乙由居士」、「守黒菴眠柳居士」、「松籟庵太無居士」、「二世松籟庵霜後居士」の6基が長慶寺に建てられたとある。
「短冊」は埋めてしまったが、「句文懐紙」は山寺芭蕉記念館に収蔵されている。
世田谷区北烏山の称往院にも其角の墓がある。
其角の本当の墓は伊勢原市の上行寺にある。
霊巌寺へ。
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