芭蕉ゆかりの地


〜芭蕉時雨塚〜

 両国小学校から清洲通りを行くと、新大橋通りの交差点近くに長慶寺がある。


長慶寺


正確に言うと、曹洞宗蟠龍山天壽院長慶寺。

長慶寺に芭蕉時雨塚がある。

『諸国翁墳記』に「發句塚 江戸深川長慶寺在 其角・嵐雪建」とある。

 元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉は大坂南御堂前花屋仁右衛門宅で死去。

   病中吟


旅に病で夢は枯野をかけ廻る
   翁


 江戸蕉門の杉風、其角嵐雪史邦等は芭蕉を偲び、芭蕉の落歯と芭蕉自筆の「世にふるも更に宗祇のやどり哉」の短冊を長慶寺境内に埋め、塚を築いた。

十二日は阿叟の忌日つとむるとて、桃隣をいざなひて、深川長渓(慶)寺にまうで侍る。是は阿叟の生前にたのみ申されし寺也。堂の南の方に新に一箕の塚をきづきて、此塚を発句塚といへる事は

世の中は更に宗祇のやどり哉
   翁

此短冊を此塚に埋めけるゆへ(ゑ)なり。此ほつ句はばせを(う)庵の一生の無ゐなるべしと、杉風のぬし、語り申されし。


  手つから雨の侘笠をはりて

世にふるもさらに宗祇のしくれ哉

此句五文字を世の中と笈日記にはしるさける筆の誤なるべし虚栗の比也


○世にふるも更に宗祇のやどり哉

此句笈日記ニ、世の中と有。白船ニ時雨哉と有。いづれも違也。


この塚が芭蕉時雨塚。


 碑の表面には「芭蕉翁桃青居士」、裏面に「元禄七甲戌年十月十二日」と刻まれていたらしい。

深川森下町蟠竜山長慶寺中 椎の木の中の茂の内在入口に枝折戸 傍に制札あり其文に曰

   条々

 一花もみち折とるへからさる事

 一木履はくへんらさる事

 一折戸外へ開くへからさる事

     月日

時雨墳

碑陰

 元禄七甲戌年 十月十二日


 芭蕉の句「世にふるも更に宗祇のやどり哉」は天和2年(1682年)、芭蕉39歳の句。

宗祇の「世にふるも更に時雨のやどり哉」の本歌取りだそうだ。

箱根の早雲寺に宗祇の句碑がある。

小林一茶は何度か長慶寺の翁塚を訪れている。

大正12年(1923年)の関東大震災で罹災。

昭和7年(1932年)4月11日、永井荷風は長慶寺訪れた。

長慶寺は今猶もとの地に在り。されど墓地は取拂はれて其跡なく、新しき石門閉されたれば一見して寺とは見えず紳士の邸宅のごとし。


「芭蕉翁句塚」と「宝晋斎其角墓」は再建された。



戦災で再び失われ、現在では台座の一部が残っているだけ。


     
芭蕉翁句塚
 
宝晋斎其角墓

 『東都古墳志』によれば、芭蕉翁句塚、宝晋斎其角墓の他に「玄峰嵐雪居士」、「麦林舎乙由居士」、「守黒菴眠柳居士」、「松籟庵太無居士」、「二世松籟庵霜後居士」の6基が長慶寺に建てられたとある。

「短冊」は埋めてしまったが、「句文懐紙」は山寺芭蕉記念館に収蔵されている。

世田谷区北烏山の称往院にも其角の墓がある。

其角の本当の墓は伊勢原市の上行寺にある。

霊巌寺へ。

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