芭蕉の句


ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

出典は『笈の小文』

貞亨5年(1688年)春、芭蕉が杜国と高野山を訪れて詠んだ句。

   高野

ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

ちる花にたぶさはづかし奥の院   万菊

万菊は流刑中の杜国。

同年2月18日、亡父三十三回忌追善供養。

 行基菩薩が高野山で詠んだという「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」を踏まえるとされる。

   父母のしきりに恋し雉子の聲

山鳥のなくを聞きて
   行基菩薩

山鳥のほろほろとなく声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ

『玉葉集』(釈教)

良弁僧都の歌に「ほろほろと鳴は山田の雉子の聲父にやあらん母にやあらむ」此詠によれる歟


 寛文6年(1666年)4月25日、芭蕉の主君良忠(俳号蝉吟)は25歳で没し、芭蕉は蝉吟の位牌を高野山報恩院に納める使者を務めたという。

 寛文六年四月といふに、思ひ掛けずも、主計(かずへ)失せられけるに、宗房、其のなき主の遺髪を首にかけて、高野山に登りをさめしより(愚按、高野山の宿坊、報恩院の過去帳に、遺髪の御供、松尾忠右衛門殿と記せり。)


○高野のおくにのぼれば、霊場さかんにして法の燈消る時なく、坊舎地をしめて仏閣甍をならべ、一印頓成の春の花は寂寞の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼にも膓を破るばかりにて、御廟を心しづかにをがみ、骨堂のあたりに彳て、倩(つらつら)思ふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集れる所にして、わが先祖の鬢髪をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も此内にこそおもひこめつれと、袂もせきあへず。そゞろにこぼるゝ涙をとゞめて、

   父母のしきりに恋し雉子の声

      右、秋挙夜話

『枇杷園随筆』

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栃木県岩舟町の高勝寺

群馬県明和町、沼田市の迦葉山参道

埼玉県行田市の昭岩寺、本庄市法養寺、入間市野田の路傍

東京都足立区の西新井大師、練馬区の長命寺

千葉県館山市の小塚大師

神奈川県川崎市の川崎大師、茅ヶ崎市の金剛院

山梨県上野原市の保福寺

岐阜県多治見市の順徳寺

福井県勝山市の佛母寺

滋賀県長浜市の福良荘

山口県下関市の光禅寺

愛媛県松山市の長隆寺、大洲市の聖臨寺、宇和島市の龍光院に句碑がある。

高勝寺の句碑
   
明和町の句碑
   
昭岩寺の句碑

   

   


西新井大師の句碑
   
長命寺の句碑

   


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