2008年東 京

妙楽院長命寺〜芭蕉の句碑〜
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西武池袋線練馬高野台北口を出ると、笹目通り沿いに長命寺(HP)がある。


妙楽院と号す。上練馬谷原邑にあり。(永禄三年小田原北条家の所領役帳に、石神井の内、谷原在家岸分の地を太田新六郎知行の中に加へたり。)真言宗にして、本尊に薬師如来の像を安置す。慈覚大師の作なり。慶安四年辛卯、慶算阿闍梨といへる木食の沙門、当寺を開基す。


長命寺南大門


 この長命寺は東高野山といつて、その縁起書を読むと「抑々当山は人皇百九代後水尾院の御宇慶長十八癸丑の年慶算阿闍梨の開基し給ひし霊地にして紀州高野山の規模に倣ひし東国唯一の霊場なり……」と始つて「……後世は菩提を成せん事豈疑ひあるべけんや」と結んである。附記の案内書にある堂宇仏体等三十数項。その主なるもの本堂金堂より位牌堂奥の院燈籠堂佐賀廊下羅漢大師廊下御廟橋等等。

『武蔵野探勝』(東高野山)

鐘楼と紅葉


 東高野山(旧谷原山)妙楽院長命寺は、真言宗豊山派の寺です。

 慶長18年(1613年)、後北条氏の一族である増島重明(慶算)が一院を開き、その志を継いで弟の子重俊が諸堂を建立、寛永18年(1640年)に大和(奈良県)長谷寺の秀算により「長命密寺」と号しました。

 寺域は紀州高野山に倣ったもので、東高野、新高野と呼ばれました。江戸幕府より九石五斗の御朱印を受け、府内八十八か所十七番霊場になるなど関東における有数の庶民信仰の霊場になりました。

練馬区教育委員会

長命寺本堂


 文化14年(1817年)8月17日、国学者高田与清は長命寺のことを書いている。

谷原村の谷原山長命寺は、世にあづまの新高野ともよぶ。すべて紀のくにの高野山になずらへてつくりなせり。


 昭和10年(1935年)12月1日、高浜虚子は武蔵野探勝会で長命寺へ。

十二月一日。武蔵野探勝会。練馬、東高野。

 肥かける音も聞ゆる畑の冬

 蓆囲ひして大根を洗ひをり


本堂の右手に水原秋桜子の句碑があった。


木々ぬらし石うかちつひに春の海

昭和57年(1982年)6月6日、建立。

『秋櫻子句碑巡礼』(久野治著)によれば、第91番目の秋桜子句碑である。

この句の碑は葛飾区の帝釈天にもある。

本堂の前には芭蕉の句碑があった。


父母のしきりにこひし雉子の聲

出典は『笈の小文』

貞亨5年(1688年)春、芭蕉が杜国と高野山を訪れて詠んだ句。

   高野

ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

ちる花にたぶさはづかし奥の院   万菊

万菊は流刑中の杜国。

 寛文6年(1666年)4月25日、芭蕉の主君良忠(俳号蝉吟)は25歳で没し、芭蕉は蝉吟の位牌を高野山報恩院に納める使者を務めたという。

安政6年(1859年)3月、当山現住二十一世泰英代建立。太白堂孤月書。

太白堂は天野桃隣の号。太白堂六世が江口孤月。

長命寺観音堂。


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