芭蕉の句碑
父母のしきりにこひし雉子の声
館山市大神宮に「小塚大師」がある。
正式名は曼茶羅山金胎寺遍智院。
真言宗智山派の寺である。
弘仁6年(815年)、弘法大師により創建された。
西新井大師、川崎大師と並び関東厄除三大師の一つである。
本堂の裏山に四国霊場八十八か所めぐりがある。
明治31年(1898年)、八十八個の石碑が建てられた。
山頂付近に雉子塚があった。
父母のしきりにこひし雉子の声
出典は『笈の小文』。
貞亨5年(1688年)春、芭蕉が杜国と高野山を訪れて詠んだ句。
碑陰に三世雪中庵蓼太の「雉子塚の銘」が刻まれている。
ほろほろと啼は山田の雉子のこゑ父にやあらむ
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母にやとおもひしたへるいにしへの良弁のかの
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ふるうたにかよふこゝろの十あまり七ツの文字を
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石にいまきさみて爰にたつか紀の高野なる
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法の月雪にさらしてすゑの世も朽ぬためしを
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この国に此道したふ泝風てふ人のまことを
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書そとゝむる 右 東武 雪中菴蓼太
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安永四乙未十月十二日
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「この国に此道したふ泝風」は紀州の塩路沂風のこと。
安永4年(1775年)10月12日、沂風は高野山に芭蕉の句碑を建立した。
小塚大師の雉子塚は、その模刻であろう。
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