元禄2年(1689年)4月16日(新暦6月3日)、芭蕉は黒羽を発って殺生石に向かう。館代浄坊寺桃雪に野間まで馬で送られた。その時、馬方の求めに応じて詠んだ句。
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高勝寺山門

栃木県指定文化財
高勝寺鐘楼

栃木県指定文化財
高勝寺の大仏

享保9年(1724年)、建立。
延享4年(1747年)6月1日、横田柳几と武藤白尼は岩船山の地蔵尊に詣でている。
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岩船山にて
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まづ舳先見るや若葉の浪間より
| 柳几
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此山の地蔵尊に詣て裏坂越に往還へ出るこの日は水無月朔日なりけり
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山下リておもひ出しけり氷室の日
| 白尼
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宝暦13年(1763年)4月6日、二日坊は松島の帰りに高勝寺の地蔵尊を訪れている。
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岩舟の地蔵尊を拜まんと、岩を踏て苔にすへり、木の根をとらえて、岨をつとふ
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高勝寺本堂

宝亀年中(770−781年)、開基。
天台宗の寺である。
高野山日本三地蔵のひとつと言われているそうだ。
安永4年(1775年)10月12日、沂風は高野山に芭蕉の句碑を建立。
碑裏に大島蓼太の銘文が刻まれている。
本堂の裏手にも芭蕉の句碑があった。

父母のしきりにこひし雉子の声
出典は『笈の小文』。
貞亨5年(1688年)春、芭蕉が杜国と高野山を訪れて詠んだ句。
碑面の左上が剥落している。
文久元年(1861年)、紀州高野山の句碑を写して建立。
『諸国翁墳記』に「野州都賀郡岩舩表坂半在 建主 妙詮[以下省略]」とある。
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山梨県上野原市の保福寺にも高野山の句碑を写した句碑がある。
岩船山高勝寺から三毳山(標高229m)を望む。

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