芭蕉の句


大津絵の筆のはじめは何佛

出典は俳諧勧進牒』(路通編)。

元禄4年(1691年)正月4日、大津で詠まれた句。芭蕉48歳の時である。

曲水宛書簡にある。曲水は本名菅沼外記定常。膳所藩重臣。

 まだ埋火の消やらず、朧月末京都を退出、

   乙州が新宅に春を待て

人に家をかはせて我はとし忘れ

   三日口を閉て題正月四日

大津絵の筆のはじめは何佛

 金平が分別のごとく、ことしは休に致候而、歳旦おもひもよらず候へば、如此御座候。

曲水宛書簡(元禄4年1月5日)

乙州は川井又七、大津藩伝馬役。芭蕉の死後、『笈の小文』編纂。

 『芭蕉句選』に「湖頭の無名庵に年をむかふ時三日閉口題四日」と前書きがある。

『芭蕉庵小文庫』には「筆のはじめや」とある。

 大津絵は、元禄頃大津の追分辺りで売り出されて流行した仏像・民間信仰・伝説などを描いた絵。追分絵。

東京都中央区の法重寺

滋賀県大津市の芭蕉会館大津絵美術館に句碑がある。

大津絵美術館の句碑


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