私の旅日記〜2012年〜
芭蕉会館〜碑巡り〜
大津市秋葉台に芭蕉会館がある。
芭蕉会館の入口付近に「洒落堂記」の碑があった。
山は静かにして性を養ひ、水は動いて情を慰す。静・動二つの間にして、住みかを得る者あり。浜田氏珍夕といへり。目に佳境を尽し口に風雅を唱へて、濁りを澄まし塵を洗ふがゆゑに、洒落堂といふ。門に戒幡(かいばん)を掛けて、「分別の門内に入ることを許さず」と書けり。かの宗鑑が客に教ゆる戯れ歌に、一等加へてをかし。且つそれ簡にして方丈なるもの二間、休・紹二子の侘びを次ぎて、しかもその矩を見ず。木を植ゑ、石を並べて、かりのたはぶれとなす。そもそも、おものの浦は、瀬田・唐崎を左右の袖のごとくし、湖をいだきて三上山に向ふ。湖は琵琶の形に似たれば、松のひびき波をしらぶ。比叡の山・比良の高根をななめに見て、音羽・石山を肩のあたりになむ置けり。長等の花を髪にかざして、鏡山は月を粧ふ。淡粧濃抹の日々に変れるがごとし。心匠の風雲も、またこれに習ふなるべし。
ばせを
四方より花吹入てにほの波
元禄3年(1690年)3月、芭蕉が濱田珍夕の「洒落堂」を訪れ草庵を讃えて懐紙に書いたもの。
『白馬』(正秀・洒堂撰)に収録されている。
芭蕉会館の前に芭蕉の句碑があった。
大津絵の筆のはしめは何佛
出典は『俳諧勧進牒』(路通編)。
元禄4年(1691年)正月4日、大津で詠まれた句。芭蕉48歳の時である。
昭和39年(1964年)、建立。正風十九世谷口如水筆。
芭蕉道統歴代句碑があった。
俳祖
| 旅に病て夢は枯野をかけ廻る
| 松尾芭蕉
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二世
| 重たさの雪構へとも払えども
| 広瀬惟然
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三世
| つれづれに鳴き出す蛙雨催ふ
| 山住興雲
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四世
| 難波津や芦の葉に置く天の川
| 志太野坡
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五世
| 梅寒し石をあるじに仮の宿
| 渡辺雲裡
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六世
| かくしても遂に散りけり冬牡丹
| 僧沂風
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七世
| 八朔やかしこき梅の品定め
| 菅原重厚
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八世
| 花鳥に別れてつかへん墓二つ
| 森谷祐昌
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九世
| 鴬の子も啼きつゞく時雨かな
| 僧仙風
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十世
| 走る露あやうくとまる葉先哉
| 僧閑斎
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十一世
| 梅ばかり照らして余処の月くらし
| 栃山
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十二世
| 椎の木に身をはひ出ぬ蝸牛
| 矢島蟻洞
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十三世
| おもかげやその月花の花扇
| 西村乍昔
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十四世
| 窓あけて比良の秋寂見せ申す
| 岡田魯人
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十五世
| 涼しさの処を得たる小窓哉
| 瀬川露城
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十六世
| 湧く風に要ゆるがぬ扇かな
| 小野霞遊
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十七世
| 春の日のきらめく蘭の葉先哉
| 西尾其桃
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十八世
| 今日よりぞ椎の葉かげの枝蛙
| 寺崎方堂
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十九世
| 人はいさ我は野菊の素を愛す
| 谷口如水
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二十世
| 絶景にのびる玉の緒花の春
| 美濃豊月
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昭和59年(1984年)6月、正風二十世美濃豊月建立。
明治26年(1893年)、芭蕉二百回忌に無名庵十四世魯人は芭蕉の句碑を建立。
芭蕉会館の入口に3基の句碑が並んでいる。
谷口如水の句碑
人はいさ我は野菊の素を愛す
美濃豊月の句碑
恙なく年立つ湖の明るさに
寺崎方堂の句碑
御題のうたを拝して
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洋々と年の朝しおたゝえけり
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昭和42年(1967年)秋、正風十八世方堂師三年祭記念に建立。
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