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中村汀女ゆかりの地

 明治33年(1900年)4月11日、熊本県飽託郡画図村(現:熊本市東区江津)に生まれる。本名は破魔子。

 大正元年(1912年)、熊本県立高等女学校に入学。

 大正5年(1916年)、熊本県立高等女学校卒業。

 大正7年(1918年)、同校補習科を卒業。

我に返り見直す隅に寒菊赤し

鳰葭に集りぬ湖暮るる


 大正9年(1920年)、熊本市出身の大蔵官僚(税務)の中村重喜と結婚。

 大正10年(1921年)、長谷川かな女邸の婦人句会に出席。

 大正10年(1921年)9月、杉田久女が江津に中村汀女を訪ねる。

 昭和5年(1930年)、夫中村重喜は横浜税関へ転任、商船氷川丸にて横浜へ赴任。西戸部税関官舎に移る。

 昭和7年(1932年)、中村汀女は10年ぶりに句作を再開。

 昭和7年(1932年)7月、丸ビルに高浜虚子を訪ね、つづいて星野立子に逢う。

 昭和9年(1934年)、ホトトギス同人となる。

 昭和19年(1944年)1月、『汀女句集』刊。

 昭和22年(1947年)、俳誌『風花』を創刊・主宰。

 昭和30年(1955年)5月16日、高浜虚子は江津湖を訪れ、中村汀女の家を訪ねている。

 昭和35年(1960年)、風花熊本支部は中村汀女生家に句碑を建立。

 昭和40年(1965年)、津山文化センター落成記念講演会に訪れる。

 昭和43年(1968年)、『紅白梅』刊。

 昭和46年(1971年)9月、画図小学校に句碑を建立。

 昭和47年(1972年)5月、風花宮崎支部は鵜戸神宮に句碑を建立。

 昭和48年(1973年)5月30日、風花湘南支部は横浜の野毛山公園に句碑を建立。

 昭和53年(1978年)、文化の日に城見橋北詰に句碑を設置。

 昭和54年(1979年)4月、『薔薇粧ふ』刊。

 昭和54年(1979年)10月、熊本市の名誉市民となる。

 昭和55年(1980年)、文化功労者。

 昭和56年(1981年)5月、赤坂御苑園遊会に招かれる。

   赤坂御苑における園遊会

薫風の中おことばを近々と

『軒紅梅』

 昭和57年(1982)4月、熊本県立第一高等学校に句碑を建立。

 昭和59年(1984年)4月、日本芸術院賞受賞。

   日本芸術院賞受賞式

薫風に着御や四辺音を絶え

『軒紅梅』

 昭和60年(1985年)秋、風花熊本支部は水前寺江津湖公園に句碑を建立。

 昭和62年(1987年)10月1日、世田谷区名誉区民顕彰。

   世田谷区名誉区民の章を受く

五十年とは秋芽の伸びの庭の木々

『芽木威あり』

 昭和63年(1988年)9月20日、死去。享年88。22日、東京都杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所にて密葬。27日、築地本願寺にて葬儀。墓所は和田堀廟所。

 昭和63年(1988年)10月、正四位勲二等瑞宝章。



雪しづか愁なしとはいへざるも

築地本願寺和田堀廟所(東京都杉並区永福)



蕗のたうおもひおもひの夕汽笛

野毛山公園(神奈川県横浜市)



柳散る作の暮しの川添いに

(岡山県津山市)



落花濃し三滝のお山父母恋へば

三滝寺(広島県広島市)



秋風に向ひ投げしむ運の石

鵜戸神宮(宮崎県日南市)



浮草の寄する汀や阿蘇は雪

画図小学校(熊本県熊本市)



とゞまればあたりにふゆる蜻蛉かな

水前寺江津湖公園(熊本県熊本市)



つつじ咲く母の暮らしに加はりし

上江津湖(熊本県熊本市)



夏雲の湧きてさだまる心あり

熊本県立第一高等学校(熊本県熊本市)

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