2024年熊 本

汀女園〜画図小学校〜
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熊本市東区下江津に画図小学校がある。


浮草の

寄する汀や阿蘇は雪

明治8年(1875年)、下江津学校創立。

明治36年(1903年)、画図尋常小学校となる。

汀女園

 中村汀女さんは、明治33年今の江津1丁目に生まれ、画図尋常小学校(今の画図小)で学びました。

 18歳の時に初めて俳句を作り、俳句の雑誌「ホトトギス」に入選し、俳句の道を進むことになりました。

 彼女の俳句は江津湖の風景や自然をうたったものが多く、江津湖を深く愛し、決して忘れることはありませんでした。

   とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな

 彼女は「自分の郷土を愛することは自分の心を正しくすること。郷土に対して恥ずかしくなく、正しくしようとする心に慎みや誇りがうまれます。私の俳句は故郷をたたえる詩です。」と彼女は語っています。

 ふるさと江津湖を愛した彼女は昭和63年、88歳でその生涯を終えました。最後の言葉は「還ろうよ。」だった」そうです。

中村汀女の句碑


浮草の
寄する
  汀や
 阿蘇は
    雪

出典は『汀女句集』

昭和8年(1933年)、横浜に住んでいた汀女が帰省した時の句である。

昭和46年(1971年)9月、画図小学校PTA建立。

中村汀女先生は明治33年江津湖畔に誕生された。本名破魔子。父は斉藤平四郎、テイ。画図小学校より熊本県立第一高女を卒業。中村家に嫁ぎ、高浜虚子に師事して俳句を学んだ。昭和24年俳誌「風花」を創刊・主宰。全国的に家庭婦人の間に俳句を広めた。清新な抒情を日常生活の中に歌い上げる句風は他の追随を許さぬ。限りなく江津湖を愛し「望郷の俳人」と称せられる。昭和46年画図小学校PTAは先生の高風を慕ってこの句碑を建てた。

水とみどりと光


希 望

昭和50年(1975年)3月、創立百周年期成会建立。

紅梅が咲いていた。


上江津湖へ。

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