浮草の 寄する汀や阿蘇は雪 |
明治8年(1875年)、下江津学校創立。 明治36年(1903年)、画図尋常小学校となる。 |
中村汀女さんは、明治33年今の江津1丁目に生まれ、画図尋常小学校(今の画図小)で学びました。 18歳の時に初めて俳句を作り、俳句の雑誌「ホトトギス」に入選し、俳句の道を進むことになりました。 彼女の俳句は江津湖の風景や自然をうたったものが多く、江津湖を深く愛し、決して忘れることはありませんでした。 とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 彼女は「自分の郷土を愛することは自分の心を正しくすること。郷土に対して恥ずかしくなく、正しくしようとする心に慎みや誇りがうまれます。私の俳句は故郷をたたえる詩です。」と彼女は語っています。 ふるさと江津湖を愛した彼女は昭和63年、88歳でその生涯を終えました。最後の言葉は「還ろうよ。」だった」そうです。 |
浮草の 寄する 汀や 阿蘇は 雪 |
中村汀女先生は明治33年江津湖畔に誕生された。本名破魔子。父は斉藤平四郎、テイ。画図小学校より熊本県立第一高女を卒業。中村家に嫁ぎ、高浜虚子に師事して俳句を学んだ。昭和24年俳誌「風花」を創刊・主宰。全国的に家庭婦人の間に俳句を広めた。清新な抒情を日常生活の中に歌い上げる句風は他の追随を許さぬ。限りなく江津湖を愛し「望郷の俳人」と称せられる。昭和46年画図小学校PTAは先生の高風を慕ってこの句碑を建てた。 |