旅のあれこれ文 学


永井荷風ゆかりの地

『斷腸亭日乘』@AB

昭和21年(1946年)

   1月1日〜會社の株配當金〜

晴れて風もなし、またとはなき好き元旦なるべし、去年の暮町にて購ひ來りし暦を見る、久振にて舊暦の日を知り得たり、今日は十一月廿八日なるが如し、世の噂によれば會社の株配當金も去年六月以後は皆無となりし上今年は個人の私産にも二割以上の税金かゝるといふ、今日まで余の生計は、會社の配當金にて安全なりしが今年よりは賣文にて糊口の道を求めねばならぬやうになれるなり、去秋以來収入なきにはあらねどそは皆戰争中徒然のあまりに筆とりし草稿、幸に燒けざりしを售りしがためなり、七十近くなりし今日より以後余は果して文明を編輯せし頃の如く筆持つ」ことを得るや否や、六十前後に死せざりしは此上もなき不幸なりき、老朽餓死の行末思へば身の毛もよだつばかりなり、

   1月16日〜熱海から市川

晴、早朝荷物をトラツクに積む、五叟の妻長男娘これに乘り朝十一時過熱海を去る、余は五叟その次男及田中老人等と一時四十分熱海發臨時列車に乘る。乘客雜沓せず、夕方六時市川の驛に着す、日既に暮る、歩みて菅野二五八番地の借家に至る、トラツクの來るを待てども來らず、八時過に及び五叟の妻君來りトラツク途中にて屡故障を生じたれば横濱より省線電車にて來れりと言ふ、長男十時過に來りトラツク遂に進行しがたくなりたれば目黒の車庫に至り、運轉手明朝車を修繕して後來るべしと語る、夜具も米もなければ俄にこれを隣家の人に借り哀れなる一夜を明したり、

   5月9日〜葛飾八幡宮

画工もさしたる名家にてはあらざるが如し、されど近年かくの如きものを見ること稀なれば淺草觀音堂のむかしなど思出でゝ杖を留むること暫くなり。

昭和22年(1947年)

   3月18日〜弘法寺

晴。春風依然として暖ならず松籟鬼哭の如し。晝餉の後眞間川の流に沿ひ歩みて手古奈堂の畔に至る。後方の岡に聳る石級を登れば弘法寺の山門なり。本堂の傍に老梅三四株ありて花雪の如し。別に龜井院と云ふ寺あり。

   8月2日〜幸田露伴

午後二時露伴先生告別式。小西小瀧の二氏と共に行く。但し余は禮服なきを以て式場に入らず門外に佇立してあたりの光景を看るのみ。

昭和23年(1948年)

   4月7日〜伏姫桜

午下小瀧氏來話。共に出でゝ眞間川の櫻花を看る。滿開の花未散るに至らず正に見頃なり。弘法寺の石級を登るに本堂の傍に年古りたる垂絲櫻ありてこれも花爛漫たり。

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