私の旅日記2004年

桜土手公園〜文学の散歩道〜
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京成本線市川真間から真間川に向かう。


桜土手公園がある。


 桜土手公園は文学の散歩道とも呼ばれ、市川ゆかりの文学者と作品の紹介板がある。


北原白秋   1885−1943

葛飾の真間の継橋夏近し二人わたれりその継橋を

 「葛飾閑吟集」の序文である「真間の閑居の記」に「大正5年5月中旬、妻とともに葛飾は真間の手古奈廟堂の片ほとり、亀井坊といふに、仮の宿を求む」と記している。現在の亀井院のあたりは、商店や住居がたてこんでいるが、当時は畑地の広がる寂しい土地だった。そのカヤぶきの庫裡6畳を借りて、江口章子と同棲していた。白秋31歳、章子28歳のときだった。

 かつて『邪宗門』を刊行して人気絶頂にあった白秋が人妻松下俊子との道ならぬ恋で告訴され、名声は一朝にして崩れていった。しかも苦しい恋愛の後に結婚した俊子は、貧しい生活を嫌い、去ってしまった。この傷心をやわらげてくれたのが江口章子との静かな田園生活だった。「葛飾の真間の手児奈が跡どころその水の辺のうきぐさの花」にはそうした白秋の心境が現れている。

 やがて6月末、府下葛飾郡小岩村(現東京都江戸川区)に移り、「紫烟草舎」を興した。その住居は里見公園に保存されており、自筆の歌碑もかたわらに建つ。

真間史蹟保存会



万葉集

 市川には下総国国府があったので、都とは太い線で結ばれており、万葉時代市川は東国文化の中心でもあった。

 市川の文学は『万葉集』に見られる真間の手古奈に関する歌数首から始まるといってよく、美貌故に不幸に落ちた悲劇の美女、手古奈を詠んだ万葉歌人に高橋虫麻呂と山部宿祢赤人とがあり、ほかに作者不詳の歌もある。

勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手古奈し念ほゆ

高橋虫麻呂

 この反歌は、現在亀井院境内に歌碑として残されている。

われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手古奈が奥津城処

山部赤人

 この歌額は手古奈霊堂に掲げられている。

足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ

作者不詳

 この歌碑は真間の継橋の傍らに建っている。

真間史蹟保存会

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