「花見衣として、甚兵衛羽織を着こんで花見に来てごらん。この花の見事さに感嘆する以外はないだろう」という意。
発想の眼目になるのは、当時世人の口に乗っていた流行歌謡の口調を句にとり入れたところにある。『貝おほひ』の中では、九番、「鎌できる音やちよいちよい花の技―露節」を左とする右の句で、自ら判詞の中で、「右の甚べが羽折は、きて見て、我折りやと、いふこゝろなれど……」と述べているように、小唄などの文句であることが明らかである。その唄の詞は今ははっきりしないが、『万歳踊』・『松の葉』・『落葉集』などに「きてもみよ」のことばは頻出し、着ても見よ野は花染のふぢばかま―正景」(伊勢俳諧発句帳)などを初め、多くの集に好んで使われた手法であった。「我折りや」は「我を折れよ」の意で、感心せよということである。後出ん「見るに我も折れるばかりぞ女郎花」が参考みなろう。
寛文十一年ごろの作。芭蕉二十二歳ごろにあたる。
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平成4年(1992年)10月12日、三河芭蕉会建立。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
出典は『笈日記』(支考編)。「病中吟」と前書きがある。
元禄7年(1694年)10月8日、花屋仁右衛門宅で詠まれた辞世の句とされる。
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左に採荼庵十一世近藤梅志の句が刻まれている。
時雨忌や霞遊訪ねて明けにけり
平成6年(1994年)10月12日、芭蕉三百年忌に三河芭蕉会建立。

よし野にて桜見せふそ桧の木笠
出典は『笈の小文』。「乾坤無住同行二人」と前書きがある。
貞亨5年(1688年)、門人杜国を道連れに吉野の花見に旅立つ時に詠まれた句。
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碑陰にも芭蕉の句が刻まれている。
数ならぬ身とな思ひそ玉祭り
『有磯海』(浪化編)に「尼寿貞が身まかりけるときゝて」と前書きがある。
元禄7年(1694年)7月15日、伊賀上野で盆会を迎え、寿貞の死を悼んで詠まれた句。
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平成13年(2001年)10月12日、三河芭蕉会建立。
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