与謝野鉄幹の歌碑



『与謝野寛遺稿歌集』

昭和8年(1933年)

単調に堪へざる男わが手もてわざとも開く驚異の世界

手荷物を前にしながら船まてばみな新京へ立つ如きかな

五百人みな大島へ船に乗る誰が心にも椿のあらん

美しく灯をば列ねて行く島の椿を既に盛る如き船

海もまた安らふごとくさし入りぬ島の南の波浮の小港

山めぐる波浮の入江の青めるに影しぬ船と片側の町

波浮の浦やや大きなる船一つ来て片側の町半ば消ゆ

山かげの波浮の入江の浪ぎはに煙を揚げて底を焼く船

川原湯の社の簾古りたれど入りて拝めば肩触れて鳴る

北の空さみだれ雲のをぐらきにますら男さびて那木山(なぎせん)とがる

このなかに敦夫もありてあかつきの蚊帳より仰ぐ久米の佐良山

誕生寺時の無ければ拝むこと門にして止む美作の路

侘びざらん黒部の渓の秋の雨もみちも我も岩も濡るれば

高岡の街の金工たのしめり詩の如くにも鑿の音を立つ

鋳物師よ楽しかるべしみづからの釜一つにも試めさんとする

鋳物師の道もたふとし釜ごとに一つの型のくづされてゆく

高岡の城の公園しづかなる水と紅葉を路めぐりゆく

松のなか安宅の宮のましましぬ比べて云はじ関の跡など

仮の関あらぬ世なれど安宅にて我等を停む松と浪おと

小石をも安宅の浜に拾ふなりこの国のことなつかしきため

いにしへの関のあとなど安宅にて秋に語るもあはれなるかな

浪しろく安宅の浜につらなりぬ修験ら来んと待つ袖のごと

義経の持物と云ふ椀なども安宅に見れば敬へり人

那谷の山もみぢのなかの幹さへもほのかに岩の白さなるかな

那谷寺のもみぢのかげの岩山に在りて明るし今日おもふこと

金沢の友送り来て那谷寺の紅葉のもとになほ語るかな

この度は紅葉の時に来あはせてまた賜はりぬ那谷寺の酒

那谷寺の紅葉のかげにわが友と云ふ別れこそ明るかりけり

那谷寺の秋に澄みたる心には謙信の琴さやかにも鳴る

路高し雑木を隔て下に見ゆ御嶽の渓の羅漢寺の橋

ことごとく空に入りたる岩山を見上ぐる渓の路は三尺

石門と人うぃしふれどたそがれて渓に思ひぬ雲の一つと

渓の路仙娥の滝にきはまらず亭の待つありそのうへの山

鉄橋のかなたに白き川上をさし出の磯に見て暫し行く

友の汽車われらの汽車と窓ならび暮れたる山に云ふ別れかな

昭和9年(1934年)

船出でて仁右衛門島に迎へけりなほ鎌倉の前の世のごと

潮鳴りをほのかに聴きて島のぬし仁右衛門の家岩岩の奥

仁右衛門の古屋のみかは斧をもて我等の歌も心を削る

岩痩せて水仙咲きぬ海人(あま)の長(をさ)島仁右衛門隠者めくかな

知る身には地震を経たる今寂し半となれる玉簾の滝

早雲寺やや荒れたるが身に沁みぬ武将のむいかし如何にともあれ

我が依れる柳の上のてすりより半見て好し山の湖

みづうみの浅瀬にごれり大きなる三角の帆も影引かで行く

日のなごり彼方にありて山五つ黒し越後と信濃の間

夕焼を空に隔てて真黒なり越後信濃の山の一列

利根の秋約のごとくに友も来ぬ歌ふところはひと夜なれども

滝の路かたぶく岩も柴橋も「ぶな」も欅もしづくするかな

岩山の岩の裂けたる大襞を二十五丈滝もて塞ぐ

滝を見る傍へに黒し壁のごと切り立ちながら空に入る山

滝のもと貝の化石と霊芝とを我れに得せしむ山小屋の人

今日遊ぶ高き渓間の路尽きず山の現る空の現る

落つる日を抱ける雲あり越の国大河を前に時雨んとする

案内して文治今日ゆく師を思ふこころ弥彦を敬ふこころ

十とせ経て万代橋も石となり山田穀城(よしき)もいにしへの人

羅津にも渡らんことをふと思ひ万代橋に見る港かな

石しろし我等三人の影くろし万代橋に秋の日の満つ

海を見て風荒ければ我れ縋る尖閣湾の上の田の茅

昭和10年(1935年)

ふた月を遅れて来れど我友の見しごと寒し船原の川

船原の大樹の椎の霜に堪へ二百歳経て人の注連張る

橙のひかる木立の隔つれば海ほのかなり階上の室

子の友が旧き我れをも音づれて土肥の宿りに物を云ふかな

島の洞(ほら)御堂に似たり舟にして友の法師よ参れ心経

舟に見て底の明るく青けれど仁科の洞の潮は二尋(ふたひろ)

辞するとき小雨のなかにひと枝乞ふ下田の寺のべに椿かな

てん草の臙脂の色を沙に干し前にひろがるしら浜の浪

湾晴れて明るき空に唯だ白し沖の海堡ここの燈台

べに椿岬の山にうづたかし路より見えずうへの燈台

燈台の看守に乞へば暖かに物を食はしむ烈風の山

まだ知らぬ清さなりけり燈台の曲れる段をわがのぼる音

燈台の力を云へば九万燭昼は小さき虹を抱くのみ

黒船を怖れし世などなきごとし浦賀に見るはすべて黒船

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