俳 書

『後の旅』(如行編)


元祿8年(1695年)刊。自序。一鼎子跋。

 元祿8年(1695年)1月12日、芭蕉の百ヶ日追善忌に美濃大垣の如行正覚寺に「尾花塚」を建立した記念集。

「尾花塚」


後の旅集   如行撰

 此一巻は芭蕉翁一生を旅にたのしみ旅に果て、万像森羅おのおの情をつたへたり。国々の門人、追福作善日をついでやまず。其徳、そのひかり死出の旅寐も安からんと、後の旅集えらぶ事になりぬ。

野晒を心に風のしむ身かな

是は翁、そのかみ世をのがれそめて、此身はかくてなどうち侘て、むさし野ゝ草分出つゝ、ものうきあしがら山も越たまひししるべなり。

(しね)よしなぬ浮身の果は穐の暮

といひしは、杭瀬の川のながれに足をすゝぎて、浮雲流水を身にかけこゝろにかけて、頭陀やすめ笠やすめられし因なり。げにや茶の羽織、檜の木笠も、此のこゝろざしよりあふぎそめられけり。

霜寒き旅寐に蚊屋をきせ申

   翁をはじめてやどしける夜、ふと申出ければ

古人かやうのよるの木がらし

かく有て興じ給ひぬ。そのゝち座頭など来て、貧家のつれづれを紛しければ、お(を)かしがりて、

琵琶行の夜や三味線の音霰

 ひとむかしにも成ぬへし。熱田の宮にやすらひて、「荵さへ枯て餅うるやどりかな」と、よもぎが嶋の荒たるをなぞらへ、社頭修覆、又のとしとゝのを(ほ)りて、「とぎ直す鏡も清し雪の花」と法楽有。今も耳の底にのこりて有がたし。又の旅は元禄二年のはじめの夏、深川のいほりも人にやりて、なす野ゝ原に郭公をまち、蓬葎の敷寐の下にきりぎりすを聞て、千百余里の嶮難、終にかうべをしろふ(う)して、みのゝ国我さとにうつり給。句どもあまた有。此事はおくのしほ(を)りにのこし給へば、大形はもらしつ。

戸を開けば、西に山あり、伊吹といふ。花にもよらず、雪にもよらず、只これ孤山の徳あり。

そのまゝよ月もたのまじ伊吹やま

   斜嶺硯をとりむかへば、此句をとゞめらる。

   恕水子別墅にて即興

こもり居て木の実艸のみひろはゞや

   耕雪子別墅則時

凩に匂ひやつけし帰花

   此筋にのぞまれて茅屋の絵讃有。

むぐらさへ若葉はやさし破

 「衾ノ記」といふ有。是は翁、みちのく出羽行脚の時、最上のなにがしが作り得させし紙のふすまなり。北海の浦々、野店山橋に、よるは敷昼は負て、我やどに入て、竹戸と云お(を)のこにうちくれられし衾の記なり。

城主の君、日光御代参勤させ給ふに扈従ス岡田氏某によす

篠の露袴にかけししげり哉

   千川亭に遊て

折々に伊吹をみては冬ごもり

翁、此所より伊勢へうつり給ふ時、我舟にて送り侍るに

蛤のふた見へ別れ行秋ぞ

 二見には、「扇をひろげて」といひしおもかげをしたひ、花垣の庄には、里の子のしるべありとて、境をかへて嘯き、なつかしきころは、京なる人のもとにもむかへられ、さは(わ)がしき心つきぬれば、「先たのむ椎の木もあり」といひし、まぼろしの庵にうち籠り、ひらの雪みむとて、木曽塚にもやどり、名月にさそはれて、三井寺の門たゝかれしよすがもありしぞかし。我も折からは、苔の水をむすびて米をかし、しそくに蚊をやきなどして、いさゝか夜の枕をやすめし事も、夢のやうなる交りぞかし。此冬、はからず難波にして身まかりたまふ。終焉の事は『枯尾花』『行状記』に出たり。我も定なき翁の行衛を慕て、さゞなみや鳰の舟をあがり、乙州がやどに着て、万期を須臾のあはれと成給ひしを、智月・乙州がものがたりに動て落涙とゞめがたし。

朝霜や夜着にちゞみしそれもみず
   如行

 七日七日のかぶら大根
   荊口



芭蕉翁、元禄四年の冬、我寺に来給て、ながき記念にせよと、雪見の像書置されし。今五七日の忌に、此像の前にかしこまりて、

  垂井
今からは雪見にころぶ人は誰
   規外



   一とせ芭蕉翁、予が寓舎にて、「雪見にころ
   ぶ」の句高吟あり。
  尾陽
初雪は翁の墳も降たるか
   夕道

   初月忌
  尾張
この月もおもひやくぜる鶯子
   露川

   三十五日
  
一歌仙匂ひの花を袖の霜
   素覧

   百ヶ日
  
弦月の明ては梅になみだ哉
   巴丈

いくしきり時雨て行や経の内
   游刀

河はあせ山は枯木の涙かな
   史邦
奥州須賀川
迚も死ぬ身なら難波の枯野哉
   等躬



   芭蕉翁百ヶ日追善

 されば病の床の八日の吟、「旅にやんで夢は枯野をかけ廻る」。たのもしや翁の髪のゐ(い)ます事は、いづちにも樹を植て、花の咲がごとくなるべし。仍(よつて)地を州城の西、町の片端なる所の冷水山正覚寺禅慧、攸門戸物寂たる左の方に卜シテ、方墳を真似て石を削り、高さ纔に弐尺五寸、径(わたり)三尺、其上に野面なる石に芭蕉翁の三字をあらはし、椎の細き丸太六十株を用て、その樊(かこひ)となす。



  翁百ヶ日懐旧

墨の梅はるやむかしの昔かな
   其角

 つかみ豆腐にうかす青海苔
   桃隣

小刀を嗅(※「鼻」+「臭」)で置たも長閑にて
   嵐雪



  百ヶ日会行

   先年越より拾ひきて分おかれし、手もとのし
   たはしく

梅が香にさがす真蘇枋<マスウ>の小貝哉
   荊口

 冬のいたみを残す蕗の芽
   斜嶺

春の道鴈木の杭のぬけ出て
   如行



  百箇日興行

青柳にさらぬ古枝や百ヶ日
   千川

 其涸池の芦は角組
   桃隣

鶯に三分坪の地をしめて
   其角



  題梅懐旧句

坊主衆なを(ほ)り所や梅のはな
   斜嶺

<ノリモノ>や棒のつかゆる塚のむめ
   竹戸

ちる梅の一倍かなし百ヶ日
   規外

立よるや肩衣かくる塚の梅
   林紅
  亡人
二親のきれほど梅に悔けり
   寸木

  百ヶ日懐旧
  
くどくどとおもへば悲しよるの梅
   支考

   のつと日の出る山路哉」と有しもなつかし
   くて
  大坂
梅が香に日は入にけり塚の石
   舎羅

   百ヶ日

花鳥や絵毎にとはず物語
   桃隣
  ミノ
芦の香や古人を慕水の末
   此筋

   春もやゝけしきとゝのふ」と申残さ
   れし句意を味へ侍て

此梅を遥に月のにほひかな
   嵐雪

春風も西へ西へと百ヶ日
   乙州
  
粟津野に通ひかゝりて百ヶ日
   智月

   芭蕉翁百ヶ日於義仲寺興行

ゆかしさをまねき合たる柳哉
   正秀

燕の墓をめぐるや人の透
   曲翠

   芭蕉翁遷化のゝち、伯父老祖父(おほぢ)身ま
   かりて愁情うちつゞきぬ。今年正月廿三日
   は先師百ヶ日の忌に当る。仍五老井にお
   (い)て門人捧句(くをささぐ)
  彦根
青柳や跡からふへ(え)る塚の数
   許六

百日はこらへてつぼむ梅花哉
   李由

   翁の身まかりたまひしあくる年の春、義仲寺
   へ詣て

石塔もはや苔づくや春の雨
   去来
  伊賀
朧さも夜毎にうとし椽(えん)
   猿雖
  
上下の庵の往来や朧月
   卓袋
  
わすれてもならぬ歎や月と梅
   土芳

   みのゝ杭瀬のあたりは、芭蕉翁行脚の
   はじめより逍遥の地にして、門人其俤
   をおぼえひかりを残して、これを験(シル
   シ)にあら垣をむすび、石の牌をす
   (ゑ)たり。必斧を入て方円をかたどら
   ず、を(お)のが野面のまゝなるに、金
   泥けづりなす「芭蕉」の文字のあだなら
   ぬ、いとたふとし。

湖上三井麓
かげろふや石の野面に文字の箔
   路通

   無名庵にて別丈艸

  
鶯に又来て寐ばや窓の際
   惟然

出しぬいて来れば咲たつ野梅哉
   千川

うぐひすの声の下なる湯殿哉
   荊口

うぐひすや啼ては跡をうちしまり
   文鳥

   元禄四年の初冬、茅屋に芭蕉翁をまねきて

もらぬほどけふは時雨よ草の屋根
   斜嶺

 火をうつ声にふゆのうぐひす
   如行

一年の仕事は麦におさまりて
   芭蕉

 垣ゆふ舟をさし廻すなり
   荊口

打連れて弓射に出る有明に
   文鳥

 山雀籠を提(さげ)る小坊主
   此筋

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