俳 人
松木淡淡
大坂西横堀に生まれる。初号因角、のち渭北。別号半時庵。
元禄初年(1688年)のころ江戸に出て芭蕉から呂国の号を受けた。
元禄4年(1691年)、淡淡は本多氏に鍼医として仕官。
元禄7年(1694年)、不角について因角と改め、しばらく江戸に滞在した。
元禄16年(1703年)、奥州行脚、『安達太郎根』。
正徳4年(1714年)、祇空剃髪。
宗祇のしぐれ、芭蕉の宗祇、青流
|
の剃髪
|
|
世にふるもさらに祇空のやどり哉
| 淡々
|
寛保4年(1744年)、なみは大坂に移住。大坂で淡々に会っている。
天満参りの帰るさ半時庵を訪ひて
|
|
鶯と物いふ枝の雀かな
| | 浪女
|
|
返し
|
|
鳳なれや桐も若芽の艸の宿
| | 淡々
|
宝暦11年(1761年)11月2日、88歳で没。
朝霧や杖で描きし富士の山
寛政元年(1789年)3月、湖月庵春亀は「四世塔」建立。
逆さまによみても更に帰り花
愛媛県四国中央市の医王寺に「半時菴朝水居士発句塚」がある。
かりのよや畑の夕月朝みとり
東海道の有松に淡淡の句碑がある。
有松や家の中なるふぢのは那
淡淡の句
暁の時雨(と)いへる題にて
滝を生む日に消され行時雨哉
重陽の吟とて或人のかたりける
根のあるはけふはつたなし菊の花
暁や灰の中よりきりきりす
はつ秋の比、信濃ゝ猿山を導てみ
つの浦邊にあそぶ
片桶は月に浮けり塩乙女
枯蓮の起てたゝかふ時雨かな
俳 人に戻る