俳 書
『芭蕉句鑑』(松宇文庫)@ ・ A
天保の頃成立。
遙けき旅の空を思ひやるにもいさゝかも心にさハらんのむつかしけれハ日頃住ける庵を相知れる人に譲りて出ぬ此人なん妻を具しむすめ孫なともてる人なりけれは
陸奥一見の桑門ふたり那須の篠原一見せんとなほ殺生石見んとていそきけるも俄に雨降出しぬれは先此所にとゝまりて
那須の温泉明神相殿に八幡宮を移し奉りて両神一方に拝れ玉ふ
此句初かくれ家や目たゝぬ花を軒の栗と吟ありしを後にかく直されしとや
越後国出雲崎といふ所より佐渡へハ海上十八里となり初秋の薄霧立もあへす流石に波も高からされハ只手の前の如く見渡さる
此句初残暑しはし手ことに料理れと吟ありしをかく直されしとそ
草のとほそに住わひて秋風の悲しけなる夕くれ友とちの方へつかハしける
伊賀国花垣の庄はそのかミ奈良の八重桜の料に附られけるといひつたへ侍れは
翁曰うつくしき皃かく雉子のけ爪かなといふハ其角か句なり蛇くふといふは老吟なり
翁曰此句ハさせる事はなけれとも白露横江といふ奇文を味ひて詠合せたる也一度ハ一声の江に横たふやとも又声や横たふとも句作得せしか人にも判させて江の字をはふきて水の上とくつろけ句の匂ひよろしき方に後に定しと也
また埋火の消やらぬ臘月の末京都を立出て乙州か新宅に春をまちて
翁云下むせひといふ所鰍ならてハ不叶余の魚にてもよきといふ人にハ論するに不及といへり
すてやらて命をおふる人ハミなちゝのこかねをもてかへるなりとあるうたのこゝろを
ひと露もこほさぬ萩のうねり哉
ある書に此句を画賛と題し又西行の哥にならふといふ詞書をしたる句にひと露もこほさぬ菊のこほり哉と出せるハ非也句意も非ならす其上句意も此句と同し心也此句ハ西行か画賛に范蠡か詞書を添てしかいへる句なり
たつとかる涙や染てちる紅葉
同寺の堂の奉加の言葉書に曰く竹樹密ニ土石老タリと誠に木立物ふりて殊勝に覚侍れは
三秋を経て草庵に帰れは門人日々に群り来りていかにと問ふにこたへ侍り
柱は杉風枳風か情を削住居ハ曽良岱水か物すきをわふ猶明月のよそほひにと芭蕉五本を植て
此句ハ初瓜の土といはれしを涼しきといふに縁あるを思ひめくらして泥とハなしかへられたり
此句中七文字種々句作ありたれとすハらて漸々として峯に雲おくと云句を出吟ありしとそ句作骨を折られたる所といへり
初ハ大井川浪にちりなし夏の月といふ句也然るをかく直されしと也
此□一ハ句人声や此道帰る秋の暮といふを出されて衆評の上□なれしとそ□□□笈日記にあり
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