俳 書

『蕉句後拾遺』(康工編)


安永3年(1774年)正月、自序。

尾崎康工は越中国砺波郡戸出村の人。八椿舎。

 『泊船集』『芭蕉句選』『芭蕉句選拾遺』に洩れた103句を収録。存疑35句、誤伝22句が含まれている。

 春之部

   安倍川に名のみにして

水上はうくひす鳴て水浅し

   初瀬にて

春の夜や篭人ゆかし堂の漏

あれこれをあつめて春は朧かな

   路通陸奥へ赴く時

草まくら誠の花見しても來よ

笠寺やもらぬ岩屋も花の雨

小初瀬や花に暮ゆくはん袋

   小夜の中山より彼大井川を
   見わたして

日暮れハ落花に雪の大井川

彳々(つくづく)と榎の花の袖そむる

   西行像讃

すてはてゝ身はなき物と思とも

雪の降日は寒くこそあれ

花のふる日ハうかれこそすれ

 夏之部

芋植て門は葎の若葉かな

田や麦や中にも夏のほとゝきす

   陸奥一見の桑門同行二人那須の
   篠原を尋て猶殺生石見んと急ける
   ほとに雨ふりけれは先此所にとゝまる

落來るやたかくの宿のほとゝきす

夏豆の二葉や麦の株かへし

麦生てよき陰れ家や畠むら

新麦や笋時の艸の庵

ひかり合ふ二ツの山の茂りより

西か東か先早苗にも風の音

手はなせは夕風やとる早苗かな

五月乙女にしかた望んしのぶ摺

湖水はれて比叡降のこす五月雨

日の入の雲吹はらへむら樗

   白川の関にて

関守の宿も水鶏に問ふもの

いてや我よき布着たり蝉衣

小鯛さす柳すゝしや海士か家

川かりや伊勢武者は皆赤ふとし

   加賀へ文通に

風かほる越の白根を國の花

漣や風の薫りの相拍子

   最上の秋鴉亭にて

山も庭もうこき入日や夏座敷

   出羽の新庄成信亭

風の香も南にちかし最上川

   東武より都に歸る人々にあふて

東路の其すねミてし床凉し

唐破風や日影かけろふ夕すゝ見

 秋之部

   草菴にて

残暑暫(しばし)手毎にれうれ瓜茄子(なすび)

世わたりや渡りくらへてわたり鳥

   山中桃妖に書てゐふ

温泉の名残今宵ハ肌の寒からん

月見よと玉江の芦をからぬ先

   敦賀の宿に雨ふりけれは

月いつこ鐘はしつみて海の底

名月やたしかにわたる鶴の聲

   隠士洞哉坊にま見ゆ

名月の見所問はん旅寝せん

名月や湖水にうかふ七小町

   越人

男ふり水呑顔や秋の月

夜歩行(よあるき)にから櫓の音や浦の秋

萍やしるも山田の落し水

 冬之部

さし篭るむくらの友か冬菜賣

   杜國に對して

いらこ崎似るものもなし鷹の聲

凩の吹やるうしろすかた哉

こがらしの町にも入るや鯨賣

   うしろ向の大黒の賛

忘るゝな紙の頭巾のしめくゝり

初雪やあれも人の子皮拾ひ



   人も見ぬ春や鏡の裏の梅

鏡の裏といふ所有て、其里に年越の年旦なると説有、又大津の智月か尼に成し時の句ともいへり。何れにも元旦の句と聞え侍る。

   風麦亭にて

   あこくその心はしらず梅の花

紀貫之童名内教坊阿古久曽(アコクソ)といへり。人はいさ心もしらずの詠になぞらへ、初瀬の宿坊のごとく風麦亭に親しみの心むかしにかはらざるを陳べ給ひしならん。

木曽の情雪や生ぬく春の草

弥生も雪の残るを地上の佳気さかんにして春草の生えぬく勢自然と眉目動く木曽の路の逍遥にかかる所を見て作り給へるにや誠に其さまの思はれ侍りていよいよ深し。

雀子と声鳴きかはす鼠の巣

古家の蓬戸も巣(すくひし)物有て茅屋の暖にチウチウと啼かふさま春の有生の色々を移せり。青山忽己曙鳥澆舎鳴 是らに似たり。

   ひとり尼わら家すげなし白つつじ

白躑躅のつきなく咲くは凄き物也。独尼の藁家すげなく所謂宮人入道の歌ひならん頗る新にして奇也

   笠寺やもらぬ岩屋も春の雨

草の庵なに露けしとおもひけん漏らぬ岩屋も袖はぬれけり。笙の窟にて、僧正行尊。

   闇の夜や巣をまどはして鳴千鳥

泊船集には夏の部に入れ、水鳥の巣といふ事にや、句選には、冬の部に入れ、猿蓑には春の部に入れ、是翁存命のうちの集なれば正しくすへきや。

   這出でよ飼屋が下の蟇の声

春季ながら夏にもわたれば蟇の声をむすびて眼前体と見えたり。蟇は蚕につく物とぞ、歌に、朝霞かひやが下に鳴く蛙声だにきかばわれ恋ひめやも

   柳ごり片荷は涼し初真桑

初物は少くして片荷と作れりの評有て理屈に走る柳籠履の奇麗なる片々に初真桑を涼しく荷ひ行形容を其ままに述ておのづから意味あり。

   家はみな杖に白髪の墓参り

旧里にかへりて盆会をいとなむとあれば皆年経てあへば親類いつの間にか頭の雪と成り、思へば我もかくあらん、光陰のうつりやすきに今や又誰か先たち、誰か後れて墳墓の主とならんに観念したまへる一作膓を断つ。

   盆過ぎて宵闇くらし虫の声

盆過ての宵闇と聞くも絶がたくさびしきさまを述て、くらしと重ねし所切々と悲し

   蕣に我は飯くふおとこかな

角蓼蛍句と有、「草の戸に我は蓼くふ螢哉」其角。世俗に心剛(つよ)き者を蓼喰虫と言によれるにや。蕣は翁若かりし時の吟と見へて虚栗に出て意気壮んなるにまかせ朝顔のもろきを観せず徒に飲食に明し暮すを爰に我をかへりみて述られしにや、いとも殊勝なり。

   馬かたはしらじ時雨の大井川

かかる風景のたぐひなさも心なき身の大河の落来る水にかなしみ雨を叱るもおかし其情表に述るばかり也。

   さればこそ荒れたきままの霜の宿

兼て閑人の住居たりとて心かけて訪れしに結ぶにくやし雨なかりせばといへるごとくの庵なるに、さればこそと其人の清廉を称し給へるにや余情言外に巍々たり。

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