俳 書
『芭蕉句選拾遺』
宝暦5年(1755年)、田中千梅序。宝暦6年(1756年)、井筒屋寛治刊。
『泊船集』、『芭蕉句選』両集に洩れた120余句を収録。
されば後代の龜鑑也とて、翁遷化五とせの後、一世の句を集めて、洛の門人風國泊船を選み、又遙の後、元文戊午、武の華雀其の洩るゝものを補うて、芭蕉句選を出す。句數凡そ六百卅餘員也。されども猶所々に殘れる秀艸多くして、伊州上野住窪田何某、粗(ほゞ)これを拾ひて、洛の書林寛治(當井筒屋庄兵衛)に授く。寛治又道に信厚く、志しを運びて、年ごろ國々に求め、嘗つて古記を考へ探りて記し置きけるもの、倶に一百廿餘句、是泊船句選の兩集に洩れたるものなり。
(元四 赤坂の庵にての吟也。初の庵の時不性さの句同時也。)
大井川浪にちりなし夏の月、といへるを、その女方、白きくの句に紛はしとてなしかへられぬ。
松島は好風、扶桑第一の景とかや、古今の人の風情、この島より思ひをよせて、こゝろを盡したくみをめぐらす、およそ海のよも三里許りにてさまざまの島々、奇曲天工の妙を刻みなせるが如く、おのおの松生ひしげり、うるはしさ花やかさいはんかたなし。
(元峯所持、宇治の中村といふ所を過ぐるに、墓原のありければともあり。土芳句集にいせの中村といふ所にてと許りあり。)
崑崙は遠く聞き、蓬莱方丈は仙の地也。まのあたりに士峰(ふじ)地を抜きて蒼天をささへ、日月の為めに雲門を開くかと、むかふところ皆表にして、美景千變す。詩人も句をつくさず、才子文人も言をたち、畫工も筆を捨てゝわしる。もし藐姑射(はこや)の山の神人ありて、其詩を能くせんや、其繪をよくせん歟。
(甲州よし田の山家に所持の人ありしを、今東武下谷菊志秘藏なるよし、行脚祇法より傳寫して出す。)
雲霧の暫時百景をつくしけり
冬之部
(戸田權太夫利胤。青龍院溪則日節と翁手帳に書付けあり。)
(貞四 富士の雪の句、いづれに決するや否不詳。併し名所の句心得てすべしとあれば此句可也。)
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