旅のあれこれ


橋本左内ゆかりの地

 天保5年(1834年)3月、福井藩奥外科医の子として生まれる。

 嘉永2年(1849年)、大坂に遊学。緒方洪庵の適塾で蘭学を学ぶ。

 安政4年(1857年)、福井藩主松平慶永(春嶽)の側近として藩政改革を行う。松平慶永の意を受け、一橋慶喜の将軍擁立のため活動。

 安政5年(1858年)、彦根藩主井伊直弼、大老に就任し一橋派を弾圧。松平慶永は、隠居・閉門となり、橋本左内は福井藩邸内で謹慎。

 安政6年(1859年)10月7日、橋本左内、一藩士が将軍継嗣に関わったことが問題とされ、小伝馬町牢屋敷において斬刑となり、小塚原回向院へ埋葬される。

 大正14年(1925年)12月24日、足羽公園に橋本左内銅像建設。大塚楽堂作。

 昭和19年(1944年)、銅の回収のため橋本左内銅像は撤去された。

 昭和38年(1963年)10月7日、左内公園に橋本左内銅像建立。

わたしは青年のころから橋本左内を尊敬していた。自分の身を処するについて、大いに学びたいと思い、また知らず知らずのうちに、その影響をうけているかもしれない。
『岡田啓介回顧録』

小塚原刑場跡

(東京都荒川区)

橋本左内坐像

橋本左内の墓旧套堂(東京都荒川区)

伝馬町牢屋敷

十思公園(東京都中央区)

橋本左内先生像

郷土歴史博物館(福井県福井市)

橋本左内先生像

左内公園(福井県福井市)

適 塾

(大阪府大阪市)

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