天文15年(1546年)11月29日、黒田職隆の嫡男として播磨国の姫路に生まれる。 天正5年(1577年)10月15日、黒田孝高(よしたか)は松寿丸を人質として豊臣秀吉に預ける。 天正6年(1578年)、三木城主別所長治が反旗を翻し、上月(こうづき)城も陥落、官兵衛の進言により秀吉は姫路城から円教寺に本陣を移す。 天正6年(1578年)、孝高は信長に反旗を翻した荒木村重を説得に有岡城に赴くが、村重は官兵衛を幽閉する。 天正15年(1587年)7月3日、孝高は豊前国6郡12万3千石の領主となる。 天正16年(1588年)、孝高は中津城の築城を始める。 天正17年(1589年)4月、孝高は前領主宇都宮鎮房(しげふさ)を謀略結婚により中津城内に誘殺。 天正17年(1589年)、孝高は家督を長政に譲って隠居し、「如水軒」と号した。 天正19年(1591年)10月上旬、全国の諸大名たちが名護屋に到着し、城普請に取り掛かる。築城に際して黒田孝高が縄張りを命じられた。 |