旅のあれこれ
黒田官兵衛ゆかりの地
天正6年(1578年)、三木城主別所長治が反旗を翻し、上月(こうづき)城も陥落、官兵衛の進言により秀吉は姫路城から円教寺に本陣を移す。 天正6年(1578年)、官兵衛は信長に反旗を翻した荒木村重を説得に有岡城に赴くが、村重は官兵衛を幽閉する。 天正15年(1587年)7月3日、黒田孝高は豊前国6郡12万3千石の領主となる。 天正16年(1588年)、孝高は中津城の築城を始める。 天正17年(1589年)4月、孝高は前領主宇都宮鎮房(しげふさ)を謀略結婚により中津城内に誘殺。 天正17年(1589年)、孝高は家督を長政に譲って隠居し、「如水軒」と号した。 |
慶長5年(1600年)11月、黒田長政は関ヶ原の戦いの戦功により筑前52万石に加増、名島城に移る。 慶長6年(1601年)から7年をかけて福岡城を築城。 |