旅のあれこれ文 学


長谷川かな女ゆかりの地

 明治20年(1887年)、東京府日本橋区本石町(東京都中央区)に生まれる。

 明治42年(1909年)、長谷川零余子(れいよし)と結婚。

 大正10年(1921年)10月、長谷川零余子は俳誌「枯野」を創刊。

 昭和3年(1928年)7月27日、零余子は亡くなる。享年42歳。

  同年10月、「枯野」を「ぬかご」と改題し、経営は水野六山人に移り、かな女は雑詠選者となった。

  同年11月、旧浦和市岸町に移る。

 昭和5年(1930年)9月、『水明』を創刊主宰。

 昭和44年(1969年)9月22日、81歳で没。

昭和44年(1969年)9月27日、高浜年尾は長谷川かな女の葬儀に参列。

   九月二十七日 二十二日に長谷川かな女死去の報、門
   司岡崎旅館にて知る。その葬儀に参列 浦和円蔵寺

旅先に聞く訃はかなし秋の風

『句日記』(第三巻)

花蕗をわけて石狩川となり

美唄市役所前(北海道美唄市)

芦芽ぐむ沼の入江の光圓す

館林文学のこみち(群馬県館林市)

曾良の句碑

西教寺(栃木県大田原市)

生涯の影ある秋の天地かな

調神社(埼玉県さいたま市)

曼珠紗華あつまり丘をうかせけり

別所沼公園(埼玉県さいたま市)

羽子板の重きが嬉し突かで立つ

合田氏宅(愛媛県新居浜市松)

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