旅のあれこれ文 学


長谷川秋子

長谷川秋子の句

 昭和21年(1946年)11月19日、長谷川かな女の嗣子博と結婚。

 昭和42年(1967年)5月、『菊凪ぎ』刊行。

 昭和44年(1969年)9月22日、長谷川かな女は81歳で没。秋子「水明」主幹となる。

 昭和45年(1970年)4月、秋子は博と離婚。浦和市本太に住む。

『菊凪ぎ』

   名主の滝にて

滝に落つ声は拾へず春深かむ

乙女椿まろき雨飲む仰向きて

春の川指を流してしまひたく

   別所沼にて 三句

沼の底明るくて目高眠る間なし

魚卵抱く沼は薄暑の陽をもぐらせ

とんぼ生れとんぼ生れて沼凹む

   調宮にて 二句

咲きながら散りながら桜がまはす木馬

淋しくて浮き来ては亀が呼ぶ落花

   かな女先生古稀祝賀

菊花束人形のごと古稀の胸に

『鳩吹き』

   に紫綬褒章賜はる 三句

女人一点菊花のごとき授章式

褒章の銀を離れず冬日燦

冬薔薇のふかぶか祝辞聴きゐたり

   岡山城 三句

雪をんなとならねば見えぬ雪の城

陣太鼓ひそかに打つは夜の雪

雪空ぬげず身動きならぬ天守閣

   九月二十二日かな女師没

経本一巻りんだう絶ゆることなき部屋

   四月離婚、本太へ転居

木蓮に白き翼を賜はる夜

秋袷のやうに陽を着て母の句碑

黄落の句碑せつせつと母匂ふ

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