旅のあれこれ


野村望東尼ゆかりの地

 文化3年(1806年)9月6日、福岡藩士浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として生まれる。名はモト。

 文政12年(1829年)、野村新三郎貞貫の後妻となる。

 安政6年(1859年)、夫と死別。出家して望東尼と称した。

 文久元年(1861年)、京都に上る。

 元治元年(1864年)、長州から逃れてきた高杉晋作平尾山荘に迎える。

 慶応元年(1865年)2月、姫島(糸島市志摩姫島)に流刑となる。

 慶応3年(1867年)4月13日、高杉晋作没。望東尼は山口に移る。

 慶応3年(1867年)9月、三田尻(防府市)に入り、歌友荒瀬百合子宅に身を寄せる。

 慶応3年(1867年)11月6日、62歳で没。

 明治24年(1891年)、正五位贈位。

 明治26年(1893年)、改修。

防府天満宮

(山口県防府市)

野村望東尼終焉の宅

(山口県防府市)

望東尼終焉之地

(山口県防府市)

東行庵

(山口県下関市)

白石正一郎宅跡

(山口県下関市)

野村望東尼の墓

明光寺(福岡県福岡市)

野村望東尼誕生之地

(福岡県福岡市)

平尾山荘

(福岡県福岡市)

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