明治25年(1892年)3月1日、芥川龍之介は京橋区入船町8丁目1(現:中央区明石町10)に「耕牧舎」の経営者新原敏三の長男として生まれる。生誕7ヶ月にして母の長兄芥川道章に引き取られ、本所小泉町(現:墨田区両国3丁目)に移る。12歳の時、芥川家の養子になる。 明治30年(1897年)、芥川龍之介は江東小学校の付属幼稚園に入る。 明治38年(1905年)、東京府立第三中学校に入学。 大正3年(1914年)10月末、田端に移り住んだ。 大正5年(1916年)12月1日、横須賀の海軍機関学校に嘱託教授として就職。 昭和2年(1927年)2月4日、芥川龍之介『道芝』序。 昭和2年(1927年)7月24日、35歳で自害。豊島区の慈眼寺に墓碑がある。 |
歸途電車の中にてたまたま鄰席の乘客東京日々新聞の夕刊紙を携え讀めるを窺ひ見るに、小説家芥川龍之介自殺の記事あり、神經衰弱症に罹り毒藥を服せしと云ふ、行年三十六歳なりと云ふ、余芥川氏とは交無し、曾て震災前新富座の棧敷にて偶然席を同じくせしことあるのみ、さればその爲人は言ふに及ばず自殺の因縁も知ること能はざるなり、余は唯心ひそかに余が三十六七歳の比のことを追想しよくも今日まで無事に生きのびしものよと不可思議なる心地せざるを得ざるなり、 |
昭和18年(1943年)、文藝春秋社は芥川龍之介にちなんで「芥川賞」を設けた。 |