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昭和2年(1927年)7月24日、芥川龍之介は35歳で自害。 昭和10年(1935年)、菊池寛は直木賞とともに芥川賞を創設を設けた。 昭和10年(1935年)、佐藤春夫は芥川賞初代選考委員となる。太宰治の「晩年」が芥川賞候補になったが結局落選すると、太宰は短篇「創世記」を書いて佐藤を批判した。 |
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昭和12年(1937年)、尾崎一雄は『暢気眼鏡』で第5回芥川賞を受賞。 昭和13年(1938年)、火野葦平は『糞尿譚』で第6回芥川賞を受賞。 昭和13年(1938年)、中山義秀は「厚物咲」で第7回芥川賞を受賞。 昭和14年(1939年)、長谷健は『あさくさの子供』で第9回芥川賞を受賞。 昭和15年(1940年)、久米正雄は芥川賞選考委員の一人となる。 昭和24年(1949年)、井上靖は『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。 昭和28年(1953年)、松本清張「或る『小倉日記』伝」第28回芥川賞を受賞。 昭和32年(1957年)、菊村到は『硫黄島』で第37回芥川賞を受賞。 昭和36年(1961年)、三浦哲郎は『忍ぶ川』で第44回芥川賞を受賞。 昭和51年(1976年、宮本輝は「螢川」で第78回芥川賞を受賞。 |
