2019年長 崎

諏訪公園〜碑巡り〜
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長崎市上西山町に諏訪神社がある。

石段途中の右手に下村ひろしの句碑があった。


龍踊や社頭の秋日捲き込んで

 昭和55年(1980年)5月、下村ひろし先生の喜寿を祝し、棕梠三百号を記念して建立。

 昭和60年(1985年)11月、棕梠俳句会は西坂公園に水原秋桜子と下村ひろしの師弟句碑を建立。

 昭和60年(1985年)12月、『棕梠』終刊。

 昭和61年(1986年)4月21日、没。

階段の左手に大楠がある。


大楠の右手に種田山頭火の句碑があった。


大樟のそのやどり木の赤い実

昭和6年(1931年)の句らしい。

諏訪公園にピエール・ロチの記念碑があった。


A LA MEMOIRE
 DE
PIERRE LOTI
 DE
LACADEMIE FRANCAISE
 1850〜1923

 ピエール・ロチは、本名ルイス・マリー・ジュリアン・ヴィオー。おカネさんとロチが2人で長崎公園を訪れたそうだ。おカネさんは『お菊さん』のモデル。

 するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
 「存じて居りますとも。Julien Viandsと仰有おつしやる方でございました。」
 「では Lotiだつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
 青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。
 「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

芥川龍之介『舞踏会』

蜀山人・天門山碑


天門山斷海門開  岸上人烟擁鎮台
處々白雲飛不止  秋風一片布帆來
  
南畝大田覃

 あらそはぬ風の柳の糸にこそ
    堪忍袋ぬふべかりけれ
  
四方歌垣

池田可宵の句碑


月の出や去来健吉ここに在里

八十八翁可宵

佐多稲子の文学碑


あの人たちは
何も語らなかっただろうか
あの人たちは本当に
何も語らなかっただろうか
あの人たちは
たしかに饒舌ではなかった
それはあの人たちの
人柄に先ずよっていた

「樹影」より

中村三郎の歌碑


川端に牛と馬とがつながれて牛と馬とが風に吹かるる

大正6年(1917年)、中村三郎は若山牧水の創作社に入る。

大正11年(1922年)4月18日、32歳で死去。

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