芥川龍之介ゆかりの地

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芥川龍之介文学碑〜『杜子春』〜

 JR総武線両国駅東口を出て案内図を見ると、両国小学校(HP)に芥川龍之介の文学碑があると書いてあったので、行ってみた。


明治8年(1885年)10月13日 両国小学校創立の学舎誕生。

大正3年(1914年)3月31日、相生尋常小学校と改称。

大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により校舎全壊・焼失する。

芥川龍之介文学碑


 「――お前はもう仙人になりたいといふ望(のぞみ)も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」 「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」  杜子春の聲には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)つてゐました。

「杜子春」より

 平成2年(1990年)10月、両国小学校創立150周年の記念事業として建立。

 芥川龍之介は明治25年(1892年)3月1日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年日の辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後7ヶ月の時、母ふくが突然発病したために、本所区小泉町15番地(現両国3丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、13歳の時芥川家の養子となりました。

 芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど江戸趣味豊かな家庭でした。

 本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大導寺信輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることが出来ます。龍之介は明治31年(1898年)回向院に隣接する江東尋常小学校付属幼稚園に入園、翌明治32年(1899年)同小学校(現両国小学校)に入学しました。明治38年(1905年)府立第三中学校(現両国高等学校)に入学、明治43年(1910年)成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。その後大正2年(1913年)東京大国大学英文科に入学、大正5年(1916年)卒業しました。東大在学中、夏目漱石の門に入り同人雑誌「新思想」「新小説」に優れた短編を発表して文壇に華やかに登場しました。

芥川龍之介の文学碑の脇に錨があった。


(いかり)の由来

 この錨は日露戦争(1904年〜1905年)で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火(しらぬい)」のものである。

 両国1丁目の鉄工業岡田商事(旧岡田菊次郎商会)が軍艦解体工事で得たのを昭和初年に江東(両国)小学校に寄贈したものである。

芭蕉時雨塚へ。

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