市を出てひろき川原をゆきて、船にてわたれば、左のかたに遠く岩國のはしみゆ。川をわたりて市中をすぎ、岩國の橋の前に出たり。此川を錦川といへば錦帶橋といふなるべし。又橋臺の石をくみたる所かどありて、十露盤のたまに似たれば、俗にそろばん橋ともいへり。川原町のかたより岩國の居所の惣門にむかひて、高き橋五ッかけわたせり。橋中は前後の二のみありて、中の三の橋にはなし。欄干の下より橋桁の所をみるに、木をくみたるもの也。
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文政10年(1827年)6月18日、大雨の中を鶴田卓池は錦帯橋を見に行った。
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岩国ノ城下迄五十丁。岩国ハ吉川氏六万石ノ城下也。錦川錦帯橋一見、此日ハケシカラヌ大雨、新湊に帰る。暮て又乗船也。
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嘉永6年(1853年)2月3日、吉田松陰は岩国の錦帯橋を見ている。
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三日 晴。天明に舟を發し、新湊に至る、四里。藝商ここより上陸す。余も亦上陸して岩國に至り、錦帶橋を觀る。橋下に諫櫃を置く、示文(ふれぶみ)甚だ好し。往復の路程百町。橋は錦川に架す。川の海に注ぐ處を今津と爲す。新湊を發し、宮島に至る、五里。時に夜亥時なり。
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昭和25年(1950年)9月、台風で流出。
昭和28年(1953年)、三代目錦帯橋完成。
平成16年(2004年)3月20日、「平成の架替」完成。
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昭和41年(1966年)11月12日、高浜年尾は広島ホトトギス会で錦帯橋へ。
十一月十二日 広島ホトトギス会 岩国錦帯橋を見て
宮島口黛仙荘
川波は五橋映さず紅葉晴
初冬の錦帯橋に瀬音聞く
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大正7年(1918年)、矢形勇は広島県尾道市原田町に生まれる。
吉川広嘉公像

昭和47年(1972年)、矢形勇制作。
平成31年(2019年)、矢形勇は101歳で死去。
吉香公園へ。
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