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江戸時代のはじめ、このあたりは関東総奉行内藤清成らの屋敷となり、代官町と呼ばれるようになりました。その後、三代将軍家光の弟、駿河府中藩主徳川忠長や春日局、家光の次男松平長松(のちの甲斐甲府藩主徳川綱重)などの屋敷となりました。さらに享保16年(1731年)に八代将軍吉宗の次男徳川宗武(御三卿田安家)、宝暦八年(1758年)には九代将軍家重の次男徳川重好(御三卿清水家)がそれぞれ上屋敷を与えられています。 安政3年(1856年)には、この絵図にも見られるように田安家清水家上屋敷のほかに御蔵地、植溜御用地、馬場などがありました。 明治維新後、田安家・清水家の上屋敷は一時御用邸となり、その後は近衛歩兵営用地となりました。近衛歩兵営では明治11年(1878年)、日本初の兵士反乱事件「竹橋事件」が起きています。 明治8年(1875年)、ここは東代官町、西代官町となりました。そして明治12年(1879年)、二つの町が合併して新たに代官町と改称しました。 第二次世界大戦後は、森林公園として整備が進められ、昭和42年(1967年)、住居表示の実施により北の丸公園と改められました。名称はかつての江戸城北の丸にあたることに由来します。 公園は、昭和天皇の還暦を記念して昭和44年(1969年)に開園し、園内には日本武道館や科学技術館、国立公文書館、国立近代美術館などがあります。また石垣には国指定天然記念物のヒカリゴケ生育地もあり、都心のオアシスとして親しまれています。
北の丸町会 |


| 古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戰ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉 |
| 経緯:昭和53年(1978年)は、吉田茂元総理の(明治11年(1878年)生〜昭和42年(1967年)没、日本武道館にて戦後唯一の国葬)の生誕百年に当たり、これを記念して吉田茂生誕百年記念事業実行委員会((財)吉田茂記念事業財団)が計画、各階からの寄付を募って、建立されたもの(昭和56年6月閣議了解)。 |
| 令和4年(2022年)9月27日、安倍晋三元首相の国葬が日本武道館で執り行われた。 |



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江戸城は、長禄元年(1457年)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590年)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592年)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607年)に天守閣が、寛永13年(1636年)に総構(そうがまえ)が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657年)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。 田安門は、北の丸北部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現在の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から寛永13年に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は破損のため大正末期から昭和初期にかけて撤去されていたものを、昭和36〜41年度の修理で復旧整備したものである。田安門は、江戸城の総構完成当時に遡る現存唯一の建物であり、高い価値を有している。 |
