旅のあれこれ
徳川吉宗ゆかりの地
貞享元年(1684年)10月21日、紀州藩二代藩主徳川光貞の四男として生まれる。 宝永2年(1705年)、紀州徳川家を相続し第五代藩主に就任する。 享保元年(1716年)、第八代征夷大将軍に就任。 享保4年(1719年)、将軍吉宗が鷹狩の時に道灌島香取神社で食事をした。餅のすまし汁に青菜を少々あしらって差し出すと、吉宗はこの菜を「小松菜」と命名されたと伝えられている。 享保9年(1724年)、徳川吉宗は遊獵の折から初めて羅漢寺に渡る。銀子下賜。 享保16年(1731年)1月27日、次男の宗武は江戸城田安門内に屋敷を賜り、田安徳川家を創設する。 享保20年(1735年)、腰掛石の地形でき、吉宗来駕、行水をする。腰掛石、茶屋完成。 元文2年(1737年)、飛鳥山を整備し、遊園として一般市民に開放した。 寛保元年(1741年)、吉宗の第四子の宗尹(むねただ)が江戸城一橋門内に屋敷を与えられた。 延享2年(1745年)9月25日、将軍職を長男家重に譲る。 寛延4年(1751年)6月20日、死去。享年68。 |