しづやかに輪廻生死の 世なりけりはるくるそらの かすみしてけり |
昭和27年(1952年)、「好日」を創刊。 昭和33年(1958年)11月、好日社門下建立。 昭和34年(1959年)3月5日、68歳で没。 |
樹之雫 しきりに 落つる暁闇の 比叡をこめて 啼くほととぎす |
16歳で得度し、比叡山で教義を学んだ後悟堂は、やがて慈愛のまなざしを野鳥や自然に向けるようになります。この歌も、そんな生命あるものに対する悟堂の温かさが詠まれたものです。なお、恵亮堂の前にあるこの歌碑は、悟堂が野鳥・自然保護運動の功績で文化功労者表彰を受けたことを記念して、学友と友人が建てたものです。 |
転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊に釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれています。 延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを豊臣秀吉の命により、文禄4年(1596年)に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から南北朝の貞和3年(1347年)と認められます。 細部様式もその頃をよく表しており、根本中堂と同じく天台様式の典型で、内陣は土間中央に本尊を安置する宮殿を壇の上に設けています。 |
時ならぬ つばきの花を よろこびて めじろ友よぶ 山かげの寺 |
山の院連子の端に せきれいの巣あり ひな三つ母まちて鳴く |
武子は九条良致と結婚し、ともに渡欧したが、わずか1年で1人で帰国し、その後も夫の外遊は10数年続いたといいます。夫の留守中に本格的に始めた歌の数々には、当時のわびしい心情や宗教的情操を詠み込んだものが多く、武子の作品を女性らしい情感あふれるものにしています。山寺の連子窓の端にある巣のなかで、親鳥の帰りを鳴きながら待っているセキレイのひなに、武子は自らの姿を重ねあわせていたのでしょう。 |
比叡山の 古りぬる寺の 木がくれの 庭の筧を 聞きつつ眠る |
旅と酒の歌人、“若山牧水”は大正7年5月に登叡。この西塔 “本覚院” に一週間滞在し、選歌や原稿をつづりて山に遊ぶ。 比叡山(ひえやま)の 古(ふ)りぬる寺の木がくれの 庭の筧(かけひ)を聞きつつ眠る 当時の“本覚院”は荒れ果て伊藤孝太郎という寺男が独り住む。牧水と寺男は夜ごと杯を傾けてお互いの人生を語りあった。 |
*若山牧水(明治18年〜昭和3年) 宮崎県東郷町出身。旧制延岡中学−早稲田大学。歌誌「創作」を編集。生涯約6,900首を詠む。“牧水歌碑”は全国各地に約200基を数える。 *本覚院 現在は 「学寮」 の名称で一般公募の修行僧の宿舎となっている。“庭の筧”は今も残る。 |
五十町の山道、東塔の大学寮に至る。 猿啼くと一人がいへば夜寒かな 提灯に驚いて飛ぶ小鳥かな 道標や夜寒の顔を集め読む 身に入むや踏み落す石の谷の音 冬を待つ僧もあらずよ峯の坊 茶立虫弁慶水はこゝと啼く 学寮を出て来る僧に夜霧かな |