私の旅日記2015年

延岡高等学校〜若山牧水〜
indexにもどる

延岡市古城町3丁目に延岡高等学校(HP)がある。


 明治32年(1899年)4月1日、宮崎県立延岡中学校設置。若山牧水は一期生として入学し寄宿舎生活。
 大正12年(1923年)12月15日、日豊本線開通。
 昭和4年(1929年)4月1日、私立延岡高等女学校を県に移管。宮崎県立延岡高等女学校となる。
 昭和24年(1949年)4月1日、宮崎県立延岡恒富高等学校となる。
 昭和33年(1958年)6月1日、校歌制定。渡辺修三作詞、近衛秀麿作曲。
 昭和34年(1959年)4月1日、宮崎県立延岡高等学校に改称。

近衛秀麿は近衛文麿の異母弟。山田耕筰の弟子。

校門を入ると、左手に「延岡高等学校創立百周年記念庭園」がある。

平成11年(1999年)5月14日、新設。

若山牧水像があった。


昭和38年(1963年)3月、第15回卒業生一同建立。

「宮崎県立延岡高等女学校校歌」の碑


作詞 北原白秋、作曲 山田耕作

 昭和5年(1930年)12月、山田「耕作」は「耕筰」に改名すると発表したそうだ。

平成23年(2001年)3月26日、除幕式が行われた。

渡辺修三の詩碑


一本の棒のように
わたしは胸をはって
まっすぐに立っていたい

   昭和三十六年新春

 大正10年(1921年)、渡辺修三は延岡中学校18回卒業生。西条八十に師事。昭和53年(1978年)、没。

北門の大きな桜の木の下にひっそりと若山牧水の歌碑が建っていた。



うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花

若山牧水の第14歌集『山桜の歌』収録の歌である。

山ざくら

三月末より四月初めにかけ天城山の北麓なる湯ケ島温泉に遊ぶ。附近の渓より山に山桜甚だ多し、日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ。

うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花

『山桜の歌』

碑 陰

旧県立延岡中学校第一回卒業
生若山牧水先生三十年忌に当
りこれを建てる

   昭和三十二年九月十七日

昭和32年(1957年)年9月17日、牧水の三十年忌に建立。

 『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、全国で20番目の牧水碑である。

 この歌は大正十一年春伊豆湯ヶ島温泉での作だが、牧水自然詠の代表作と言われる名歌であり、若い生徒たちに夢を抱かせる明るい歌という意味から選ばれたのであった。

 碑石は同校出身の詩人渡辺修三の寄贈した黒岩園峡谷の明るい色の火成岩で、縦八〇センチ、横六〇センチぐらいの自然石の一面を鏡に磨いて牧水晩年の丸やかで親しみのある筆跡の歌が五行に刻まれている。あまり大きくはなく、それが低い台座に据えられているからさして目立たないけれど、素朴で気品のある歌碑である。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)

私の旅日記2015年〜に戻る