茂吉の歌

茂吉歌碑

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『白桃』

昭和8年(1933年)

   鞍馬山

鞍馬寺にのぼり來りてやすらふも一時にしてをはりとぞおもふ

少年の義經のこともいめのごとき僧正谷にわれの汗垂る

あづさゆみ春の一日はすがしかり大阪の城に青むもろ草 九日大阪

   嚴島

わが眠る枕にちかく夜もすがら蛙鳴くなり春ふけむとす 四月十二日

濤の音の聞こえぬ島の一夜寢をひがしの國にわれかへりみむ

嚴島に一夜やどれば鶯は止まず鳴きたりこゑなつかしも

こよひ一夜友と離れてみづに鳴く蛙のこゑを聞けばさびしも

過去とほきこのみ社にまうで來て心は疲る春のひと夜を

   栗の花

      六月十一日山口茂吉君と共に禅林寺なる森鴎外先生の墓に詣づ

栗の花香にたちて咲くひるさがり森鴎外先生のおくつきどころ

武藏野の小さき寺に君がみ墓うつされ來つつはや五とせか

禅林寺はまづしき寺とおもへどもあはれたふとし草木もひそけく

向島にみ墓のありしころよりもなべては親しわれも老いつつ

   谷汲

      西國第三十三番美濃谷汲御詠歌「萬づ代の願をここに納めお
      く水は苔よりいづる谷ぐみ」「今までは親と頼みし笈摺を脱
      ぎて納める美濃の谷ぐみ」

美濃のくに谷汲やまの山のまにひぐらし鳴けばしづけくもあるか

谷汲の苔よりいでて砂ながすいまだかすかの水なりしかば

夏山をそがひにしつつこもりたるみ寺の中に入りてゐるはや

谷汲はしづかなる寺くれなゐの梅干ほしぬ日のくるるまで

   長良川

美濃のくに長良の川の鵜を見むとけふぞ來にける古き遊ぞ

   幻住庵址

      八月八日比叡山をくだる。藤田清ぬしの案内にて同人等芭蕉
      の幻住庵址を訪ふ

瀬田川にみだりて降れる夏雨のやうやくにしてうつりけるらし

この山をある宵くだり村里に風呂をもらひし翁おもほゆ

西教寺の晴れたる空にひかりつつ雲ほびこりしときはいつくし

わが友に導かれ來し義仲寺のせまきくまみの萩咲かむとす

多寶塔の鍵をあけつつ導きしわかき法師をわすれかねつも

碓氷川の水のみなもとはおのづから砂もりあげて湧きいでにけり

ひなぐもり碓井の山にいきづきてしぬびたてまつる日本武尊

   草津小吟

朝寒をおぼゆるころに草津路の古りしながらの平に立ちぬ

温泉街(ゆのまち)の草津のよるは更けわたり三時ごろにしばらく人ごゑの絶ゆ

いづこにも湯が噴きいでてながれゐる谷間を行けば身はあたたかし

この山にベルツ博士ものぼり來て湯治のことを通信しゐる

   川原湯温泉

吾妻川の谿におり來て魚住まぬ川としいへばわれは目守れり

   四萬

上野の谷川の瀬にまたたくま青き木の葉はながれて行ける

四萬谷にしげりて生ふる杉の樹は古葉をこめて秋ふかむなり

山みづにかくろひて住む岩魚をもここの泉に養ひにけり

いで湯よりあがり來りてわれひとり濡れしタオルを釘にかけたり

白骨の温泉(いでゆ)をめぐる山の草しぐれの雨の降ればすがれぬ

白骨にわきいでてゐる湯の池に鯉の群るるを見らくしよしも

昭和9年(1934年)

   蔵王山上歌碑

      六月四日、舎弟高橋四郎兵衛が企てのままに蔵王山上歌碑の
      一首を作りて送る

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

   秩父吟行

      十一月三日秩父三峰山登山口にてアララギ歌會を開きて明け
      し四日中津峽を遊行せり

高きより山がはの水を見おろしつしばらくみして水際あるきつ

いろづきし山にむかひてわが行けばはざまの水は音たかまりぬ

なまよみの甲斐につづきてたたなはる秩父の山に冬の日入りぬ

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